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ワールドカップとわたし

2018-06-28 (Thu) 07:04
こんにちは,Lady_stardustです。

連日、熱い戦いが繰り広げられているワールドカップ。
Jリーグが始まる前の実業団時代,トヨタ自動車サッカー部(今の名古屋グランパスの前身)の応援団だった父の影響で「サッカーボールは友達」というどこかで聞いたことのある環境を3歳から与えられていたLady_stardust。(翼くんか?いいえ,赤星鷹です)思えば,その成長は,ワールドカップの歴史と共にあったと言っても過言ではないのかも知れません。
 
Lady_stardustにとって一番古いワールドカップの記憶といえば,メキシコ大会。1986年開催のこの大会は,何といっても,MVPに選ばれたマラドーナの大会ですが,アルゼンチン代表を優勝に導く活躍をみせた彼に憧れた一人の若者が,1990年,ワールドカップイタリア大会で母国代表に選ばれます。その彼の名は,ストイコビッチ。 (日本でも有名な選手の一人ですね。)イタリア大会での彼の活躍を見たときから,彼はLady_stardust少年の神さまになりました。本ブログでは,そんな彼について紹介します。
 
 
そのストイコビッチとマラドーナは,前出のワールドカップイタリア大会の準々決勝で対峙します。試合は,延長戦まで戦ってスコアレスドロー。PK戦となります。前半早々に退場者を出しながらも,前回王者アルゼンチンと互角の戦いをしたユーゴスラビア代表。このチームの中心は,当時,24歳のストイコビッチでした。しかし,PK戦の一人目に蹴った彼のシュートは,ゴールポストに嫌われ,ユーゴスラビア代表は,そのまま敗退してしまいます。自身のPKの失敗による敗退に泣いている彼に,マラドーナは「泣かないで,君はまだ若い」と慰めたのは,サッカー史に残る素敵なエピソードの1つです。
 
さて,東欧のブラジルと呼ばれるほどの技巧派集団であるユーゴスラビア代表は,1994年ワールドカップアメリカ大会での優勝候補に成長します。しかし…歴史というのは,人の思いをよそに,ときに恐ろしいほど残酷なものです。内戦が泥沼化していくユーゴスラビアは,その制裁として国際交流を制限されます。その1つとしてユーゴスラビア代表はアメリカ大会に係る予選への出場を禁止されてしまったのです。
海外遠征先でその知らせを聞いた代表チーム。ストイコビッチはキャプテンとして,泣き崩れる他の選手に声をかけてまわったそうです。
 

イタリア大会から8年後,1998年ワールドカップフランス大会。国内は日本の出場に沸いていたなかで,Lady_stardustは,ある場面を今か今かと待っていました。それは,ワールドカップのピッチで試合前の集合写真を撮影する,ユーゴスラビア代表の姿でした。この写真を撮るまでに8年の歳月が流れたということは,出場したくても年齢やタイミングで果たせなかった選手はどれだけの数にのぼるのか。(そんなことを思いながら,緊張した表情で整列しているユーゴスラビア代表を目にしたLady_stardustは,フランス大会を涙なしには観戦できませんでした)そして,32歳となったストイコビッチがドイツ戦で決めた勝ち越しゴールを,Lady_stardustは生涯忘れることはないでしょう。
 
ゴールを決め,仲間たちに祝福されている彼の姿から,前向きなビジョンをもって成し遂げること,そしてなによりも,あきらめない精神を学んだLady_stardustでした。
 
ワールドカップのすばらしいところは,信じられないような奇跡が目の前で起こることです。今大会の日本代表やアルゼンチン代表のように。そして,その奇跡の数々は,目撃した人を必ず勇気づけます。
 

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