役に立つかどうかわからん古典トリビア(2)

草の戸も住み替はる世ぞ雛(ひな)の家
                     (松尾芭蕉『おくの細道』)

 三月といえば、桃の節句ですね。今回は「桃」にちなんで、「桃太郎」は「瓜太郎」でも「梨太郎」でもなく、なぜ「桃」太郎でなければならなかったのかをお話しします。

 まず、「桃」についてですが、中国では桃は神仙の食べ物で、これを食べると不老長寿または不死の体になれると信じられていた果物でした。日本でも、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を追って死者の国に行った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が桃の実を投げて冥府の軍勢を追い払うという話が「古事記」に載っています。
 この、中国と日本に共通する「桃=邪気を退ける力をもつ聖なる植物」という認識がポイントです。
 次に、昔話で桃太郎に退治される「鬼」についてですが、「鬼」というのは「隠(おん)」の字音が変化したものだといわれ、もともとは「何かいやな雰囲気」を表していました。それが時代を経るにつれて、次第に病気や災いを招く「不浄なもの=化け物」を意味する言葉に変化していったのです。

 さて、ここで数学の正負の数を思い出してください。「鬼=-10」、「人間=0」、「桃=+10000」と定義した場合、鬼が人間に触れると「0-10=-10」となって、人間はあの世行きです。一方、鬼が桃に触れると「+10000-10=9990」となって、鬼が消えてしまいます。ここから、鬼は桃によって自分という存在が消されてしまうために、桃を恐れるのだということがわかりますね。
 だから、鬼を退治する人間は、瓜でも梨でもなく、桃から生まれた「桃太郎」でなければならなかったのです。

 ちなみに、鬼が角と牙を生やし、虎皮のパンツをはいているのは、鬼門の方角である丑と寅からの連想で、江戸時代に考え出された姿です。同様に、桃太郎のお供が「犬・雉・猿」なのは、鬼門の反対側の方角が「戌・酉・申」だからです。

古池ケロリ