ラグビーW杯 -平尾誠二さんに思いを寄せて-

にわっちです。

ラグビーのワールドカップ。日本代表の快進撃に日本中が興奮し、感動しましたね。

日本のラグビーが世界に全く通用しなかった時代に、日本代表の強化に努め、ワールドカップの日本開催に尽力した一人に「ミスターラグビー」と呼ばれた平尾誠二さんがいます。

1963年生まれ。伏見工業高校3年生のときに全国制覇。この偉業は、ドラマ「スクールウォーズ」の題材になりました。

同志社大学では大学選手権3連覇。1985年の日本選手権では、7連覇を達成した新日鉄釜石に敗れます。

神戸製鋼入社後、日本選手権で7連覇を達成。ワールドカップには、第1回(1987年)、第2回(1991年)、第3回(1995年)にそれぞれ出場しています。

現役引退後は、神戸製鋼の総監督などを務めましたが、2016年10月20日に病気のため亡くなりました。私は、平尾さんとは年齢が近かったこともあり、たいへんショックを受けました。

私は平尾さんとは2回会っています。

1回目は、私が大学生のときに住み込みでバイトしていた長野県車山高原のペンション。ペンションとは名ばかりの合宿所でした。 そこに、平尾さんがいた同志社大学ラグビー部がやってきたのです。ただ、当時の印象は、「めちゃくちゃごはんをお代わりする人たちだなぁ」。 ごはんを炊いても炊いても追いつかなかった思い出があります。

2回目は、何年か前、新幹線の車両の中です。通路を隔てて私の斜め後ろに平尾さんが座っていました。スーツを着て窓の外を眺めていた平尾さんの姿をちらちらと盗み見していました。残念ながら、声をかける勇気はありませんでした。

そんな私の一方的なご縁もあって、ラグビーにおける平尾誠二さんは特別な存在でした。日本で開催されたラグビーのワールドカップが日に日に盛り上がっていく様子を、平尾さんに見せてあげたかった。 ワールドカップ準々決勝、日本が南アフリカに敗れた10月20日は、平尾誠二さんの命日でもあったのです。