役に立つかどうかわからん古典トリビア(5)

袴著(はかまぎ)や 子の草履とる 親ごころ 小西來山

 十一月十五日は七五三でしたね。七五三は、もともと公家や武家のあいだで行われていた「髪置(=三歳になった男女が初めて髪を伸ばした祝いの儀式)」、「袴著(=男の子が五歳で初めて袴をはく儀式)」、「帯解(=女の子が七歳で着物につけてあった付紐を除いて初めて帯を締める儀式)」というお祝い事が江戸時代に庶民のあいだにも広まったもので、明治時代に「七五三」の名称で定着しました。
 さて、どうして男の子は三歳と五歳、女の子は三歳と七歳になると氏神様などに参拝して祝うのでしょうか? それは、乳幼児の死亡率の高さに関係があります。昔は今のように医学が発達していなかったため、子どもが七歳まで成長するのはとても大変だったのです。だから、昔の人は七歳までは子どもは神さまの預かりものだと考えていたのです。そして、子どもは七歳を過ぎたときに初めて周りの人から人格を認められ、地域社会の仲間入りすることができたのです。
 また、七五三といえば各自の誕生日ではなく、十一月十五日に行われますが、これは五代将軍・徳川綱吉が息子の徳松君の袴著の儀をこの日に行ったからだということです。 
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