盆がすぎ、彼岸がきます。

ゆみです。
暑さ寒さも彼岸まで・・・なんて言葉を信じることができない今日この頃です。

さて、八月、九月は盆と彼岸があり、毎月先祖供養せんでいいのに~と思うかたもいるようです。私の友人の一人は「盆で休みのところたたき起こして往復旅行させて、彼岸でまたたたきおこされる霊も迷惑だよね~。寝てるそばで、お経よまれたら目覚めるやん」などとつっこみどころがありすぎてどこからつっこんでいいのかわからないようなことを口走ってました。。。
しかし、盆は正確には江戸時代にいろいろあって作られた儀式。仏教の教えでは霊が帰ってくることはありません。なので、私は盆に、盛大な「ご先祖様ご一行帰省パーティー」的なことはしません。でも、ご先祖様がらみの不可解現象を一番体験するのもこの時期で。。。

それはさておき、盆は特になにもしませんが彼岸はちょっと別です。
毎回、供養と別の目的でお寺に足を運びます。

はじまりは数年前のとある日曜日。京都にある(行きつけの)お寺に行き、写経してました。
その後、盆や彼岸の意味について、茶を飲みながらお坊様から話を聞いたのです。
「彼岸は彼の岸(かのきし)のことで対岸を意味し、簡単にいえばあちらがわの岸=死んだら行く場所を指します。人間はいつかは必ず死に、そこへ行きます。
見たわけではないのでどこまで本当かわわかりませんが、そう信じましょう。
(それは、言わんでもと思うのですが、こういうことを言ってのける方なので、親しみが持てます。)
そのとき先に逝ったひとに胸を張って、自分の与えられた命を精一杯生きましたと言えるように日々自分を磨くために自分を見つめ直す日。それが彼岸なんです。仏教は死んだ人のための宗教ではありません。仏教では慰霊はしないのです。葬式のときの読経も、実は残されて生きている人へのものなんですよ。」とお坊様は話してくれました。

彼岸とは、先祖供養ももちろんですが今を生きている人間が自分の生き方を見つめ直し、おだやかで満ち足りた思いで死ね準備をする日なんですね。
今、この世に与えられた命を精一杯生きているか。大切にしているか。
ちょっと考えたら当たり前のことです。でも、当たり前のことほどなおざりにされます。
生き方でも、仕事でも、ほんとにささいなことから。
忙しい毎日のなかで、1分でも自分がちゃんと生きているか、当たり前のことを当たり前にしているか、見直そうと思い直しました。そして、さらにしっかりと自分を見つめ直すために、来月の彼岸、またお寺へ足を運ぼうと思います。読経を聴き、写経をし、お坊様のお話を聴きに。。。