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旅行記
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トワイライトエクスプレス&流氷旅行記

<出発まで>

2005(平成17)年3月24日をもって私は40歳になった。
40歳記念に何かしたい-そこで思いついたのがトワイライトエクスプレスに乗ることだった。
トワイライトエクスプレスとは,大阪-札幌間を結ぶ寝台特急である。

私は子どもの頃から鉄道が好きで,寝台列車へのあこがれは強かったのだが,
なかでもトワイライトエクスプレスは別格だった。
トワイライトエクスプレスは切符を取ることが困難といわれている。
とくに1両に2室しかないスイートや、
8室しかないロイヤルとよばれるグレードの高い部屋はまず取れないらしい。
そこで、JTBの2つの支店にそれぞれ切符の手配を依頼した。
依頼したのは3月23日と25日。
JRの指定席券は乗車日の1か月の午前10時より発売されるので、
まず2月23日にチャレンジしてもらったわけだ。
結果は2支店とも取れなかった。次は2月25日。
ここで切符が取れないと40歳記念旅行の計画は実現しない。
乗車を希望する3月25日は金曜日で、仕事を1日休むだけで済む。
なんとしても3月25日の切符は取りたかった。

そこで私は自分でもチャレンジしようと考え、
2月25日の午前9時45分頃に最寄りのJR立花駅のみどりの窓口に行った。
指定券申込書に必要事項を記入し、窓口の係員に提出する。
希望したのはBツイン。Bツインは室数も多く,少しでも競争率は低いだろうと考えたからだ。
幸いみどりの窓口は空いていて、係員も私の意気込みを感じてくれたのか協力的で、
必要な情報をあらかじめマルス(切符を発券する端末)に入力し、
10時になると同時に入力ボタンを押せばいいような状態で約3分くらい待機してくれた。
その間、やはり3月25日に開幕する愛・地球博に行くために
名古屋までののぞみの指定券を買い求め来た母子がいたが
「10時までお待ちください」と待たせてくれた。
「申し訳ない。でものぞみはいくらでもとれるから」と心の中で母子にお詫びする。
私はみどりの窓口に備え付けられている時刻表をぱらぱらとめくったりしながら
緊張の時間を過ごした。

やがて窓口の向こうで「カチッ、カチッ」と音がしたなと思ったら、
「お客様!とれましたよ!」と係員さんの声。
天にも昇るような気持ちってこのこと?
「ありがとうございました!」と興奮しながら切符を受け取った。
係員も心なしか嬉しそうな表情をしていたように見えた。
切符を渡すときにこんなに感謝されたこともそうないのであろう。
女性の係員だったが、私には女神様に見えた。
駅を出ても、取れたばかりの「6号車5番 ツイン個室」と
印字された切符をニヤニヤ見ながら会社へ急いだ。

ところが大切なことを思い出した。
トワイライトエクスプレスには食堂車が連結されていて、夜はディナーがある。
このディナーは予約制で、切符を買ったときにいっしょに買っておく必要があったのだ。
そこであわてて立花駅に戻って、またみどりの窓口へ。
女神様がいたらちょっと恥ずかしいなと思っていたが、もう係員は交替していた。
「さっきトワイライトエクスプレスの切符を取ってもらったんですが、
ディナーの予約を忘れていたのでお願いします。」と頼むと、
そういった依頼を受けたのは初めてなのか、係員はあわてていったん持ち場を離れ、
もう1人の係員(女神様ではなかった)と再び現れ、いろんなマニュアルを調べ始めた。
10分ほど待ってようやくディナー券が発券された。
その間、何名かの客を足止めしてしまった。ややこしい客で申し訳ない。

さて、私はトワイライトエクスプレスに乗ることだけが目的だったので、
切符を確保した時点で、その目的はほぼ達成したといえた。
3月25日の12:00(正午)に大阪を発って、翌朝9:07に札幌に着く約21時間の列車の旅。
26日(土)に札幌に着けば、市内観光でもしてラーメン食べて、札幌で1泊して、
27日(日)に飛行機で帰ってくればいいと思っていた。
ところが、同行する嫁は「流氷を見たい」と言い出した。
流氷といえばオホーツク海。思いつく場所は網走であった。
さっそく時刻表を調べると、札幌9:41発→網走15:09着のオホーツク3号というディーゼル特急がある。
そこで、26日(土)の網走のホテルと、
27日(日)の女満別空港(網走の最寄りの空港)→関西空港の飛行機を予約した。
こうしてようやく旅の準備が整った。

<3月25日 大阪-札幌>

いよいよ旅立ちの日。
40歳記念の旅がいよいよ始まる。
トワイライトエクスプレスは12:00に大阪を出発するが、
ホームには11:30頃入ってくるらしい。
そこで、ホームに入線する場面を見るために、少し早めに自宅を出た。
梅田の阪急百貨店で嫁の買い物に付き合い、
大阪駅でおやつと旅行の様子を書き留めるノートを買おうとしたが、
このノートが見つからない。駅の売店にノートが売っていないのだ。
けっきょく阪急百貨店まで戻って買い求めた。
大阪駅に戻ったときにはすでに11:35。
あわててホームに駆け上がったが、すでに10番ホームに入線したあとだった。
それでもいきなり眼前に現れたブルーの車体に感慨もひとしお。
重い荷物をもちながら、先頭に歩いては牽引するEF81をバックに記念撮影。
「トワイライトエクスプレス」のヘッドマークが誇らしい。
同じように記念写真を撮っている夫婦と交互にカメラを交換してパチリ。
続いて最後方まで歩いて「トワイライトエクスプレス」のテールマークをバックに記念撮影。

あとは長旅に備えて雑誌を買い足し、ようやく車内へ。
6号車5番のBツインの部屋は思ったより広い。
さっそく荷物を置いて、向かい合わせの座席に嫁と座る。

定刻12:00。静かに大阪駅を出発。
「いい日旅立ち」のメロディーが流れ、女性の音声テープでウエルカムアナウンス。
一気に旅気分が高揚する。
何度も渡っている淀川の鉄橋も、いつもと違う景色に見える。
ほどなく新大阪着。何名かの乗客が乗り込む。
新大阪の次は京都に止まる。思えばまだ昼になったばかり。
これが寝台列車というのが不思議だ。
京都を出て湖西線に入ると雪がちらつきだした。

検札のために車掌が回ってきた。
寝台の作り方の説明を受け、カードキーを受け取る。
これで部屋を離れて、食堂車やサロンカーにいくことができる。
さっそくランチをとるために3号車の食堂車に向かう。
トワイライトエクスプレスの3号車は「ダイナープレアデス」とよばれる食堂車になっていて、
食堂車が珍しくなった昨今では貴重な車両だ。
4号車のサロンカー「サロンデュノール」とともに、
トワイライトエクスプレスの目玉となっている。
食堂車に入ると先客は1組だけ。
まだ全室にカードキーが行き渡っていないのだろう。
ランチタイムは13:00~16:00だが、
落ち着いてランチをとるには、早めに行くことをお勧めする。
ランチメニューにはサンドイッチ(840円)、ビーフカレー(1050円)、
オムライスセット(1050円)、うな重(1500円)などがあるが、
ここは奮発してプレアデスランチセット(2300円)を注文する。
クラムチャウダー、グリーンサラダ、パスタを和えたビーフシチューにライス。
流れる車窓風景を見ながら、心地よい揺れにまかせてとるランチはまた格別だ。
食後のコーヒーもまたいい感じ。

滋賀県を抜け、福井県に入ると車窓風景は一変して雪景色となった。
ランチの間にグッズの車内販売のワゴンが回ってきた。
ハンドタオル、キーホルダー、ストラップ、Nゲージ模型などを購入。
すでに鉄道マップも購入していたので、もう大盤振る舞いである。
ランチを終える頃、食堂車のスタッフが夕食の確認と翌朝の朝食の予約を取りに来た。
朝食は8:20を予約する。

13:43敦賀着。たいへんな雪。
敦賀を出てしばらくすると車内放送があり、北陸トンネルに入る。
1972(昭和47)年、この北陸トンネルで急行「きたぐに」の食堂車で火災が発生し、
30人が犠牲となった事故を思い出す。北陸トンネルは10分で通過した。
武生で運転停車(列車の行き違いや乗務員の交替のため停車。扉は開けず乗客の乗降はない)。
あとからやってきたサンダーバード21号に抜かれる。
同じ特急列車なのになんで抜かれるの?とカリカリしてはならない。
トワイライトエクスプレスは特急列車ではあるが、決して時間に追われる列車ではないのだ。
のんびりと時間を過ごす感覚を改めて楽しみたいと思う。
少し眠たくなってきたので昼過ぎにもかかわらず寝台をセットする。
2段ベットになっていて、上のベットはスイッチ1つで昇降するようになっている。
下のベッドは、向かい合わせになっている座席のシートを倒すことでベッドになる。
私は下のベッド、嫁は上のベッドをキープする。
さっそく横になって雑誌をみる。
これもまた至福の時。
ついウトウトとしてしまい、途中福井に停車したはずなのだが記憶にない。

15:35金沢着。5分停車を利用して、ホームに降りてみる。
金沢は高架ホームだった。
あわてて駅弁を買いに走るおじさんなど、何人かがホームに降りていた。
金沢を出てしばらくすると、車掌が乗車記念のオレンジカードの販売に回ってきた。
2枚あったがこの際だからと両方購入。JR西日本の思うつぼである。

16:14高岡、16:30富山と停まって、17時過ぎ、糸魚川を通過した頃から海が見えてくる。
糸魚川から柏崎までの約100kmにわたって日本海沿いを走るとの車内放送が入る。
あいにく天気が悪く、
トワイライトエクスプレスの列車名の由来となっている日本海に沈む夕焼けは臨めなかったが、
荒れる日本海を間近に見ることはできた。
新潟県に入り、17:58直江津着。
4分停車を利用してホームに降り、缶紅茶を購入した。
直江津からもしばらく日本海沿いを走る。
天気さえよければの思いが募る。
柏崎を通過して日本海と離れ、18:50長岡着。

19:30からのディナーの時間が近づいてきた。
トワイライトエクスプレスでの夕食は、
食堂車で食べるフランス料理のディナーコース(12,000円)と、
各部屋で食べる日本海懐石御膳(6,000円)の2通りがあり、
いずれも乗車券を購入したときに予約する。
もちろん、途中駅で駅弁を買ったり、弁当を持ち込むこともできる。
ディナーは17:30と19:30の2回あり、時間が来ると車内放送で案内してくれる。
「19:30からのディナーをご予約のお客様、
用意ができましたので3号車レストランカーまでお越しください。」の放送を聞いて、食堂車へ移動する。
先客は1組4名だけ。意外と利用客が少ないのに驚く。
席について、最初の料理が運ばれて来ると、19:38新津着。
トワイライトエクスプレスはこの新津を出ると、翌朝6:43、北海道の洞爺まで止まらない。
料理は、
 「空豆のムース 緑黄野菜のブリュノワーズソース」
 「香川産ホワイトアスパラガスと最高級スペインイベリコ豚のハム」
 「ステビア野菜のグリーンミネストローネ」
 「オマール海老のパイ包み焼き」
 「和牛ヘレ肉のポワレ 彩り野菜5種の付け合せ」
 「ファイブベリーのミルフューユとヨーグルトのソルベ」
 「コーヒー」
のコース。ゆったり約1時間30分かけていただく。
窓の外を流れる夜景が贅沢感を高めてくれる。
12,000円も納得のディナーだった。

ディナーのあと、記念にトワイライトエクスプレスの食堂車で使っているコーヒーカップを注文した。
それは後日宅配された。

22:30からシャワー室を利用する。
シャワー室も予約制で、食堂車でシャワーカード(310円)を購入し、時間を指定する。
シャワー室は4号車のサロンカーに2室ある。
シャワー室は30分使用できるが、シャワーそのものは6分しか湯が出ない。
時間配分を誤るとたいへんなことになる。
また揺れるので足の裏に石鹸がついているときは要注意。
残り1分になると警告音が鳴り,これがけっこうびびる。
シャワー室は半畳分くらいの広さで、同じ広さの脱衣場もある。
ボディーソープとドライヤーはあるが、タオルやシャンプー類はない。
これらは食堂車でシャワーセット(410円)を購入すれば調達できる。
シャワーを終えて部屋に戻るとさすがに眠たくなってくる。
ベッドに横になると、一定のリズムで車輪が線路のジョイントを刻む音が心地よい。
うつらうつらするも、列車が止まると目が醒める。
カーテンを開けてみると駅。運転停車なのだ。
確認した限りでは、23:40に秋田、1:05に大館、2:10に青森に止まった。

青森駅はホームにまで雪が積もっていた。
駅前の駐車場に停めた車のフロントガラスに積もった雪を取り除いている人が見える。
こんな夜中にいったいどこに行くのか。
青森では10分停車し、逆方向に走り出した。
2:47蟹田でまた運転停車。青函トンネルの手前まで来た。
トワイライトエクスプレスは3:07頃青函トンネルに入るのだが、
3時頃からサロンカーでJR北海道の車掌により青函トンネルの説明が行われる。
これは車内放送で何度も告知していた。
せっかくなので嫁を起こし、サロンカーへ。すでにほぼ満席である。
3時少し前、JR北海道の佐藤車掌が説明用のパネルを持って現れ、
マイクを手に説明を始めてくれた。
説明の内容は、青函トンネルのルート、トンネルの種類、
トンネル全体の距離と海底を走っている区間の距離などなかなかおもしろい。
驚いたのは青函トンネル内のレールは継ぎ目のない1本のロングレールであるということ。
その長さは53.85kmもあり、大阪から西大津までの距離に相当するという。
レールはふつう季節の気温差による膨張率の違いを考慮して、
レールとレールの継ぎ目は少し開いているのだが、
青函トンネル内は夏と冬の気温差があまりないため、1本のレールでいいのだそうだ。
後半は佐藤車掌がクイズを出し、正解者には車掌のサイン入りの記念の絵はがきが渡されていた。
問題は4問出されたが、ここでネタをばらすとよくないので、問題は伏せておく。
佐藤車掌によれば、きょうは乗車定員156名中117名しか乗っていないらしい。
B寝台(シングル、ツイン、コンパートの3種類がある)に空きがあるのだろう。
時期によればB寝台ならチケットはとれるのだろう。
1か月前、苦労して切符を取ったと思っていたのにやや拍子抜けした。
トワイライトエクスプレスは大阪-札幌間約1500kmを走るが、
途中車掌は青森で1回交替するだけらしい。
しかし運転士は11名交替で乗務するのだそうだ。
なんでも規則で運転士は200km以内の運転と決められているらしい。
何駅かで運転停車をしていたのは、おそらく運転士の交替だったのだろう。
佐藤車掌の説明とクイズを聞いている間に青函トンネルを抜け、
北海道最初の駅・知内を3:45に通過する。
3:55に木古内に運転停車。
札幌発青森行きの夜行急行「はまなす」とすれ違う。
ここで佐藤車掌の説明が終了。
部屋に戻るとさすがに睡魔が襲ってきた。
五稜郭で江差線から函館本線に入るとき、
再び進行方向が変わると佐藤車掌に聞いていたが、寝てしまって確認できなかった。

6:15に車内放送。長万部を通過したという。
あわててカーテンを開けると、すでに夜は明けていて、広大な白一色のパノラマに思わず息を呑む。
一昨年の秋、会社の旅行で同じ路線を走ったはずなのだが、全く違う景色である。
6:43洞爺着。乗客の何人かが降り、ホームではおじいさんが笑顔で迎えていた。
このあと列車は東室蘭、登別、苫小牧、南千歳と停車して、終着駅の札幌を目指す。
8:20からの朝食の準備ができたことを車内放送で知らされ、三たび食堂車へ。
和食と洋食(ともに1575円)をそれぞれ予約していたので、お互いのメニューを見比べながら食べる。

ふだん朝食をとらない2人にとってはボリュームが多かった。
しかし、コーヒーまでしっかりいただいて、お世話になったウエイターさんにお礼を告げた。
ウエイター・ウエイトレス4名、コック5名(たぶん)の食堂車のスタッフは、札幌まで乗務し、
当日14:05札幌発の大阪行きの折り返しのトワイライトエクスプレスにも乗務するという。
お疲れさまである。

車窓に都会の景色が広がり始めるとまもなく札幌。
最後も「いい日旅立ち」の曲が流れ、女性の声で到着を知らせるアナウンスが入る。
嫁は感動して少し泣いていた。誘った私も少し安心。
21時間の長旅を終えた8両編成のトワイライトエクスプレスは、
滑るように札幌駅3番高架ホームに到着した。
ホームに降りるとさすがに寒い。
列車の先頭まで歩くと,機関車はディーゼル機関車に変わっていた。
しかも重連(2両連結)である。
「トワイライトエクスプレス」のヘッドマークには雪がこびりついていた。
ほどなくホームを離れたので最後まで見送った。

<3月26日 札幌-網走>

札幌駅で昼食用の駅弁を購入し,オホーツク3号が出発する10番ホームに上がる。
けっこう人が待っていた。
オホーツク3号は4両編成のディーゼル特急で、
うち自由席が1.5両、指定席が2両、グリーン車が0.5両の編成。
今回は贅沢旅行を決め込んでいたので、グリーン車を取っていたのだが、グリーン車もほぼ満席だった。
オホーツク3号は札幌を9:41に出発すると、
函館本線を走り、岩見沢、滝川、深川と停まり、旭川に11:14に着く。
この間は石狩平野を走るので、特急列車らしく快適なスピードで疾走するのだが,
旭川から石北本線に入ると極端にスピードが落ちた。
ここからは北見峠や石北峠といった峠越えがあるのだ。
車窓の風景も一変し、線路の両側には雪が高く積もり、その向こうは森林が広がっていた。
ディーゼル特急もうなりをあげ、あえぎながら峠を登っているようだ。
かつては蒸気機関車がここを白煙をもうもうと吹き上げながら登っていたのかと思うと感慨深い。
映画「ぽっぽや」の情景なのだ。
旭川を出ると、上川、丸瀬布、遠軽に停車。
その間に札幌で買い求めた駅弁を2人で分けながら食べた。
なかなか美味だった。

遠軽には13:18に到着。
ここで進行方向が変わる。
車内放送で進行方向が変わることは告げられてはいたが、
乗客は勝手知ったるといった感じで、さっさと座席を回転させ、座席の向きを変え始めた。
その手際の良さに感心していると、
私たちの前の座席に座っていたおっちゃんもいきなり座席を回転させたため、
前の座席の背中にある足置きに足を乗せていた嫁が足を打ち憤慨していた。
生田原、留辺蘂と停車して14:16北見着。
ここで乗客のほとんどが降りてしまった。
駅前にはビルが建ち並び、意外にも都会であることに驚く。
やや身軽になったオホーツク3号は、その後も快調に美幌、女満別と停車して、
左手に凍った網走湖を見ながら、15:09網走に到着した。

大阪を前日の12:00に出て約27時間。
長い列車の旅は終わりを告げた。

網走の駅前は北見に比べると落ち着いていた。
タクシーに乗り込んで、本日の宿「オホーツク渚亭」をめざす。
さっそく運転手が声をかけてきた。
 「氷を見来たの?」
 「はい、そうです。流氷はありますか?」
 「いやぁ、ないねぇ。」
 「あす、おーろら号に乗って沖に出て流氷を見ようと思うんですが」
 「おーろら号はきょうは欠航したよ。」
おーろら号とは、網走港を発着する流氷観光船である。
時期的に流氷を見るのは難しいと聞いていたので、
おーろら号に乗って、沖に出ればもしかしたら流氷が見れるのでは?と思っていたのだ。
タクシーでしばらく走るとオホーツク海が見えてきた。
実におだやかな海だ。一面真っ青。流氷はまったく見えなかった。
運転手が続ける。
 「ウトロまでいけば氷があるかもしれない。聞いてみるか?」
といって無線でたずねてくれている。ウトロとは知床半島の街だ。
どうやらウトロに行けばまだ少し流氷があるらしい。
そこで、あす連れて行ってやろうかというのである。
ここまで来たら流氷を見たいと思う。
いくらかかるかと聞いてみた。
網走と知床半島の距離がわからなかったので、
5千円くらいならいいか・・・と思っていると,
 「4万円でどう?」といわれた。
 「えっ、そんなに?!」
 「ふつうに行けば5万超えるよ。3万5千円までだなぁ。それ以下ではいけないよ。」という。
ちょうどホテルに着いたので、
ちょっと考えてあとで連絡するからと運転手の名刺をもらって下車した。
ホテルは網走駅から3~4kmのところ、オホーツク海に面してポツンと立っていた。
ホテルに入ると、ロビーに水槽があってなんとクリオネがいた。

部屋に通してもらう。オホーツク海に面した部屋で眺望は抜群。
眼下のオホーツク海が真っ白だったらどんなに素敵なことか。
さて、翌日だが、レンタカーでウトロまで行き、
女満別空港まで引き返して乗り捨てることに決めた。
さっそくホテルのフロントでレンタカー屋のパンフレットをもらい、
網走駅前のトヨタレンタリースに電話する。
ちょうど車はあるらしく、また女満別空港での乗り捨ても可能という。
レンタカー代も6時間で6,825円というから悪くない。
雪が怖いが、北海道の道路を走るのは楽しみだ。
ホテルに少し早く着いたので、外に出て散歩した。
オホーツク海に手を入れてみる。当たり前だが冷たい。
砂浜には雪が積もっているので、歩くとところどころ足がズボっと埋もれてしまう。
天気はよく日は差しているのだが、気温は低く、
耳が痛くなってきたのでホテルに戻って大浴場に入った。
このホテルの大浴場は7階にあり、やはりオホーツク海に面している。
遠くに陸地が見えたので、もしや国後島?と思ったが、知床半島であることに気づく。
果たして流氷はあるのだろうか?
1片の氷塊がういているだけもいいのにと思うが、
目の前に広がるただひたすら青いオホーツク海を見ていると絶望的な気分になる。
タクシーの運転手は流氷見えなくてもエゾシカがいっぱいいるから、
それを見ればいいよと言っていたので、せめてエゾシカが見れればと思った。
18時から夕食。寿司会席にした。

それはそれで美味しかったのだが、隣の席の4人の家族連れがカニのコースを注文していて
焼きガニの香ばしい香りが漂ってきて寿司どころではなかった。
カニは、あす知床に行って昼に食べようということで納得して、部屋に戻った。
さすがに昨夜は寝台車で熟睡はできなかったため、部屋に戻るとすぐに眠れた。
私は途中目が醒めたので、もう1回風呂に入った。
夜のオホーツク海は真っ暗だった。

<3月27日 網走-ウトロ(知床)>

いよいよ最終日である。
ホテルで朝食をとってさっそくチェックアウト。
朝、ホテルの前の海岸を見ると、海面がうっすらと凍って白くなっていた。

「これを流氷と思えばええやん」といいながら、
8時30分に呼んでもらっていたタクシーに乗って、
網走駅前のトヨタレンタリースを目指す。
きのうとは違う運転手だったが、
レンタカーを借りてどこに行くのか?と聞くので「知床」と答えると、
内地の人はこの時期レンタカーでは走らないという。危ないと脅すのだ。
で、やはりこの車で行ってやろうかというので、
きのうも同じように言われたけど思ったより高かったのでレンタカーで行くことにしたと説明する。
この日の運転手は、知床から摩周湖まで回って空港まで走ってやるのにといってくれた。
この時期は暇なので、少々安くしても長距離客を乗せたいらしい。
レンタカー屋の担当者は親切だった。
道は凍っているかと聞いたら、日影を走らなければ大丈夫という。
時刻は朝の9時前。帰りの飛行機は15:45発である。
15時に女満別空港に着けばよいとして残された時間は6時間。
網走から知床半島のウトロまでは約90kmある。
ふつうなら1時間半で行ける距離だ。
真っ白なカローラを借りて、知床半島目指して出発。
網走からは国道244号線を走る。
道はガラガラ。車道に雪は積もっていないし、凍結もしていない。
快調に飛ばしながら、途中釧網本線の無人駅を見つけては止まって写真を取ったり、
コンビニを見つけては止まって飲み物を買ったりと何か所か寄り道をした。

道路はオホーツク海沿いを離れ、斜里の街に入った。
斜里は知床半島のつけねに位置する街である。
そこから国道344号線に入り、ウトロを目指す。
ウトロは知床半島の西側の海岸のちょうど中央にある街で、
そこから知床横断道路を通ると東側の羅臼に抜けられる。
ところがこの時期はこの横断道路が通行止めで羅臼には行けず、
またウトロの先には知床五湖やカムイワッカの滝といった観光スポットがあるのだが、
ここに行くにもおそらく通行止めだし、そこまで足を伸ばす時間はなかった。
334号線に入ってしばらくすると、またオホーツク海が見えてきた。
海の様子がなんとなくおかしい。
網走で見た青ではなく、海岸のあたりがやや白いのだ。
これはもしや!と思っていると、流氷が見えてきた。
「峰浜」の郵便局で車を停める。郵便局は日曜日で閉まっている。
すぐそこにオホーツク海が見えた。そして海岸には流氷が。
嫁は「ふわぁ」と素っ頓狂な声を上げている。
これはほんとうに感動したときにしかあげない声だ。

先に進めばもっとすごい流氷が見れるかも!
急いで車に戻り、知床半島の西側の海岸沿いに車を走らせた。
するとどうだろう、走るに連れて流氷がどんどん増えている。
途中、オシンコシンの滝というスポットがあったので、車を止めて立ち寄った。
ウトロの街に着き、ウトロ港で車を停め、海岸を歩いて海のそばまで行った。
氷のかけらに乗ることもできた。
さらに車を走らせると、坂を上りはじめオホーツクのかなたまで見ることができた。
海全体が氷で覆い尽くされるといったわけではないが、それでもずっと氷が広がっていた。

ほどなく知床自然センターという施設に着いた。
すでに12時を過ぎていたので、ここで引き返すことにした。
ただ、このセンターから約1kmのところにチカボイ岬という岬があってそこに展望台があるという。
嫁が行きたそうにしていたので、係の人にいまの服装や靴で行けるかと聞いたら、
なんとか大丈夫というので急遽雪道を歩くことにした。
雪道といっても、表面は踏まれているのか凍っているのか固いので、
ルートを外れなければ足が埋もれることはなかった。
途中、なんと雄のエゾシカが1頭現れ、
私たちの前をまるで道案内してくれているかのように歩いてくれた。
鹿に2mくらいまで近寄ってみたが、とくに逃げることもなく、しばらく案内してくれた。

20分ほど歩いて岬の展望台に到着。
そこから見るオホーツクの眺めは絶景だった。

時間がないのですぐに引き返したが、帰りはやや上りになるので時間がかかった。
知床自然センターに戻ってきたのが13時20分。女満別空港へ向かうリミットだ。
知床のカニはあきらめて、ひたすら来た道を戻った。
帰りはエゾシカをほんとうにたくさん見た。ちょうど鹿の昼食時だったのだろうか。 レンタカーではナビに頼って運転していたのだが、
斜里まで戻ると、網走から来た道とは違う道を指示してきた。
にわかに空が暗くなり、吹雪になった。
道の左右は畑か平原なのだろう、雪の覆われて一面真っ白だ。
対向車もほとんどなく、さすがに心細かった。
しかし、飛行機に乗り遅れるわけにいかず、ひたすら走って、
女満別空港前のトヨタレンタリースに15時ちょうどに到着した。
ガソリンを満タンにしてもらうとガソリン代は1,600円という。
え?ほぼ200kmくらい走ったのにそれだけ?と聞くと、12.7リットル給油したという。
レンタカー代と合わせて1万円弱。タクシーをやめて正解だった。
支払いが終わると、空港まで送ってくれた。
すぐ目の前が空港なのに、なんて親切なトヨタレンタリース。
おかげで余裕でチェックイン。
女満別から乗った飛行機はANA。左右3人がけのタイプだった。
乗ってみて驚いたのは乗客が30名ほどしかいなかったこと。
シーズンオフだったのだろう。
定刻の15:45に離陸し、約2時間30分のフライト後、無事関西国際空港に着陸した。
行きは27時間かけて移動した道のりをたった2時間半で戻ってくるとは・・・

この旅は、私の40歳記念旅行ということで、
行く前はトワイライトエクスプレスに乗ることが主な目的だったのだが、
終わってみると、流氷をはじめて見たときの嫁の感動するようすを見れたことが
何よりも記憶に残る印象深い旅であった。