A Travel Journal
旅行記
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小ばくち打ちの アメリカ西海岸 旅日記

<出発まで>

「ラスベガスで思い存分ギャンブルをさせてあげたい。」
「グランドキャニオンを見せてあげたい。」

こんな嫁の一言から,アメリカ西海岸に行くことになった。
せっかく西海岸に行くのなら,
嫁はロサンゼルス近郊アナハイムのディズニーランド・リゾートに行きたいというし,
私はサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジも見てみたかった。

というわけで,
2006年の年末に,アナハイムに3泊,ハリウッド(ロサンゼルス)に1泊,
ラスベガスに3泊,サンフランシスコに2泊の
9泊11日のツアーに行くことになった。

今回のツアーは,なんと旅行会社に一切頼らず,
嫁がネットとメールを駆使して,飛行機もホテルもすべて自力で手配した。

アメリカ初体験で英語が全くできない私と,
英語担当の嫁との珍道中。
長文必至の旅日記,最後まで読んでいただけると嬉しいです。

<2006年12月23日(土) 伊丹→成田→ロサンゼルス>

ほとんどの人々が12月28日,29日あたりまで仕事をする中,
22日(金)早々に仕事納めとし,
伊丹空港にやってきたのが午前11時すぎ。

伊丹から成田へ向かう飛行機は13時25分のフライトだが,
以前同じパターンで成田行きを利用したとき,
受付がとても混んであわてたことがあったので,
ちょっと早めに出てきたのだ。

ところが,今回は受付窓口すら開いていない。
見ると12時過ぎでないと開かないという。
少し早い昼食をとって,改めて受付窓口に行くと,客がほとんどいない。
出国ラッシュにはまだ時期が早いのだろう。グランドホステスさんたちも暇そうだ。

スーツケース2つを預けて搭乗口へ。
成田行きの飛行機は,IBEXという航空会社の小型ジェット機。

通路を隔てて座席は2名ずつで,立って歩くと天井に頭が当たりそうな感じ。
おもに東北地方へ飛んでいる航空会社らしいのだが,私ははじめて乗った。
客室乗務員は1名で,緊急避難の実演からドリンクサービスまで実に忙しそう。
大型ジェット機より低い高度を飛んでいるらしく,途中富士山が眼前に見えたのは感激した。

14時40分成田着。
50名ほどの乗客全員が搭乗口へ向かうバスに乗り込むまで,たった1名の客室乗務員は見送ってくれた。

成田も空いていた。
旅行保険に入るため,損保ジャパンのブースに向かう。
嫁は対応してくれたお姉さんに,何かあったときの連絡の仕方などを尋ねたが,
お姉さんは冊子を見ろというだけ。
嫁は早くもカリカリしていた。ちょっと心配。

ロサンゼルス(以下ロス)行きの飛行機は17時5分発。
空港が混んでいないことからお茶を飲んで一息入れ,
出国検査も無事クリアし,搭乗口へ向かう。

みるとジャージを着た若い子の一団がいる。
ファーストクラス・ビジネスクラスの客らの優先搭乗が終わると
「修学旅行のみなさまに先に搭乗していただきます」のアナウンス。
海外への修学旅行は増えたと聞くが,ロスへ修学旅行とは...
機内がにぎやかになるのはいややなぁと心配したが,彼女らはとても静かだった。

さて,私たちはエコノミーを予約したのだが,
なぜか「プレミアムエコノミー」という通常のエコノミーよりも席幅の広い席に座らせてもらえた。
これも日頃の行いがよいからか?
長時間フライトがニガテな私にはなによりも幸運なできごとだった。

ロス行きの飛行機はANA便。
成田を17時5分に発って,9時間40分のフライト。
離陸して1時間ほどするとドリンクサービスがあり,続いて機内食が配られた。
ビーフとシーフードの選択だったが,私はシーフードのクリームソース・ターメリックライス添えを選ぶ。
機内食にしては美味だった。

食事が終わると前の座席の背もたれに備え付けられた小さな画面に映る映画を見る。
「UDON」と「プラダを来た悪魔」の2本を見たあと,ゲームで時間をつぶす。
ブラックジャックがあったので,ラスベガスのカジノの予行演習とばかりしばし熱中した。

機内はすでに照明が落とされ暗くなっていたのでしばらくうとうとしていると,
機内のライトが点灯し,朝食サービスが始まった。
朝食といっても,日本時間では24時頃。真夜中だ。
機内食を詰め込み,それから1時間半ほどでロサンゼルス国際空港に着陸した。

現地時間12月23日午前9時頃,日本時間では12月24日午前2時頃だ(時差は17時間)。
12月23日をもう一度やり直すわけだ。

眠い目をこすりながら,入国審査の行列に並ぶ。
セキュリティーは厳しく,順番はなかなか回ってこない。
1時間近く並んでいよいよ私たちの順番。

係員は,いきなり日本語で「シンコンリョコウ?」と聞いてきた。
ここからは嫁の出番。
質疑応答は粛々と進み,なぜか私は日本ではエンジニアをやっていることにされて,
2人とも左右の手の人差し指の指紋と顔写真を撮られ,無事入国は許された。
私は西アジア系(アラブ系)の顔立ちをしているので,
テロリストと疑われて入国できないのではないかと心配していたが,杞憂に終わったようだ。
ちょっと安心。

ちなみに,アメリカに入国する際は全員指紋と顔写真を撮られる。
私が怪しかったからというわけではないので誤解なきようお願いしたい。

空港からはロサンゼルスの市街には寄らず,
ロス近郊ディズニーランド・リゾートがあるアナハイムまで60kmを直行バスで移動する。

目的のバスが来るまで30分近く待って乗車。
泊まるホテル名を告げればホテルの前まで乗せてくれるので,
席に着くとすぐ2人も熟睡してしまった。
このとき現地時間では午前11時頃。日本時間では午前4時頃。
徹夜状態なので眠いはずである。
アメリカに行くときは,機内でどれだけ眠れるかが勝負ですよ!

1時間30分ほど走ってディズニーランド・リゾート着。
リゾート内にあるいくつかのオフィシャルホテルの前で客を降ろした後,
私たちが泊まる ANAHEIM PLAZA HOTEL & SUITES 前に停車。
私たちのホテルは,リゾート内にはないのだが,
リゾートに隣接しており,入り口までは歩いて10分ほど。
利便性はよく「よくぞ見つけた!」と嫁に感心する。

ホテルといっても,2階建ての建物が何棟かある施設で,コンドミニアム風である。
ホテルに着いたのは現時時間13時(以後,時刻は現地時間で表記します)。
2人ともほとんで寝ないまま着いたので,できればチェックインしたいなぁとフロントへ。
この日は,ディズニーランドへは行かず,
明日からのハードな日程に備えてゆっくり休む予定なのだ。

フロントで嫁がチェックインの手続きをしようとすると,何となく雰囲気がおかしい。
対応してくれた男性スタッフがいったんフロントの奥に消えると,
替わって威圧感たっぷりに女性スタッフが登場。
私たちの前でパソコンをカチャカチャやったかと思うと,おもむろにこういったのだ。

「cancel!(キャぁンセぇル!)」

要するに,私たちの予約はキャンセルされているというのだ。
このホテルは,嫁がyahooトラベルというサイトで予約したもの。
サイトにアクセスして確認するすべもなく,交渉を進めていると(もちろん嫁が),部屋は空いているらしい。
ただし,料金は最初予約していたときより高くなるとのこと。
ここで3泊する予定だったので,泊まるところがなくなればたいへんとやむなくOK。
いきなり出鼻をくじかれた感じだ。

(ちなみに帰国後,yahooトラベルを通じて確認すると,
ホテル側のミスだったことが判明し,差額は返金してもらえた。)

ルームキーを受け取り,2階の部屋へ。
昼過ぎだったが,移動とキャンセル騒ぎで疲労困憊の私たちは,倒れ込むようにベッドに。
そのまま寝てしまった。もったいないといえばもったいない...

6時間ほどたって,20時頃目が覚めた。
機内食で朝食を摂ってから何も食べておらず,おなかがすいた私は,
ベッドから起きてこない嫁を部屋に残して,外で何か食べてくるとカードキーを持って外出した。
英語ができない私にとっては大冒険だ。

ホテルにレストランがあるのだが,1人で入る勇気はなく,
ホテルを出て5分ほど歩いたところにセブンイレブンがあることをバスに乗っているときに確認していたので,
セブンイレブン目指して歩き出した。

途中,ファストフード店が並んでいるエリアを発見。
中華料理店があるのに気づいて,中華ならなんとかなあるのではと思い,入ってみた。
Panda Chinese Food という店だ。

何品かが1皿に盛られたセットがあるようだったので,それを注文すると,
中国系の青年店員に「×××?」となにやら英語で質問された。
全く聞き取れなかったので,「I can’t speak English.」というと,
焼きめし,やきそば,唐揚げをプラスチック製の皿にどちゃどちゃと盛りつけ始めた。
もう1品,なにかを入れてくれようとしたのだが,
私はそれを「No」と制し,麻婆豆腐を指さし,入れてもらった。
4品盛りの様相だが,1品ごとの量が多すぎ。
店内で半分くらい食べて,あとはテイクアウトすることにした。

それからセブンイレブンにより,お菓子や飲み物を買い込んでホテルに戻った。
嫁が寝ているので,1人で部屋に入れるようにとルームキーを持ち出すことを忘れなかったのだが,
肝心のルームキーが作動しない。何度やっても開かないのだ。

もしかして部屋を間違えた?と少々パニックになった私は,勇気を出してフロントに行き,
「I forget my room number. Teach me my room number.」と言ってみた。

なんとか通じたようで,名前を聞かれ,
「NIWA。エヌ・アイ・ダブリュー・エー(ニワでは通じないので,スペルを伝える)」と答えると,
ルームナンバーを教えてもらった。
間違っていなかった。

部屋の前に戻り,ルームキーを入れてみたがどうしても開かない。
ガチャガチャやってたのを嫁が気づいてくれたようで,中から開けてくれた。
このキー,翌日以降はノートラブルだったので,いったいなにがあったん?という感じだった。

さあ,あしたはクリスマスイブ。
イブをディズニーランドで迎えたいというのが嫁のたっての希望だったので,楽しみである。

<12月24日(日) ディズニーランド・リゾート>

カリフォルニアのディズニーランド・リゾートには,
ディズニーランド・パークとディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーの2つの遊園地がある。
舞浜に東京ディズニーランドとディズニー・シーの2つがあるようなものだ。
ショップやレストランがそろったダウンタウン・ディズニーと3つのディズニーランド・リゾートホテルを含んで,
広大なディズニーランド・リゾートを構成している。
当然,1日では回りきれない広さだ。

開演時刻を調べると,ディズニーランド・パークが午前8時,
ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーが午前10時だったので,
初日はディズニーランド・パークに行くことにした。
朝7時過ぎに起床。歩いて5分ほどでディズニーランド・リゾートの入場門に到着。

遊園地の入り口をめざして歩く。
途中,手荷物検査があるのがアメリカらしい。
パスポート(入場券)は,出発前に購入し送ってもらっていたので,
さっそくディズニーランド・パークの入場ゲートに並ぶ。
クリスマスイブということで大混雑かと思いきや,意外に混んでいない。

しかし,列に並んでいる人たちを見ていると,
白人,アジア系,中南米系,インド系とさまざまな人種の人たちがいて興奮する。
これほどいろいろな国の人たちと一度に出会ったのは初めてだ。

さて,ディズニーランド・パークのアトラクションは,
ビッグサンダーマウンテンやスペースマウンテンなど,東京ディズニーランドにあるものとほぼ同じ。
私たちは,朝のうちにできるだけ多くの人気アトラクションに行く作戦を立て,

インディ・ジョーンズ・アドベンチャー
スプラッシュ・マウンテン(急流すべり)
ホーンテッド・マンション
ビッグサンダー・マウンテン
ピーターパン・フライト
バズ・ライトイヤー・アストロ・ブラスター
イノベンション
Honey,I Shrunk the Audienceと制覇。

東京ディズニーランドのように長時間待つこともなく,もっとも並んだので40分程度だった。

途中,昼食にサンドイッチとサラダを食べたが,サイズがでかい!
アメリカで食事をするときは,とにかく想像以上の量が出てくることを意識していないといけない。

午後3時30分からはお待ちかねのパレード「A Christmas Fantasy」が始まる。
丹羽家は2人ともディズニーランドのパレードが大好きなのだ。

ハイペースでアトラクション回りをして疲れ,座りたかったこともあって,50分くらい前から席取りをはじめた。
パレード開始時刻が近づくにつれて,回りにも人が座りはじめた。

嫁はパレードを音声付きの動画におさめようと構えていたが,
隣に大阪弁の女の子4人組が座ってがっかり。
どうせなら,「Wao!」や「Wonderful!」といった声が入ることを期待したのだが,
「めっちゃかわいい~!」「ミッキーや!ミッキーや!」の大阪弁の大きな声が入っていた。
園内であまり日本人とは出会わなかったのだが,なんでこんなときに?といった感じである。

パレードそのものには大満足。「来てよかった!」と,感涙ものである。

やっぱり,ディズニーランドはパレードですね♪

パレード後もできるだけアトラクションを回ろうと精力的に動き回り,

マッターホーン・ボブスレー
オートピア(ゴーカート)
ロジャー・ラビット・カー・トゥーン・スピン
スペースマウンテン
と,合計12のアトラクションを回った。

夕食はサラダだけ。昼たくさん食べたので,おなかはそれほどすいていない。
午後7時25分からは花火。曲に合わせて「スマイル」などさまざまな花火が打ち上げられ,
日本で見るものとは一風変わった花火ショーに酔いしれる。
この日は日曜日で閉園時刻は午後9時。

花火が終わると,多くの人が家路についたので,私たちもその流れに乗って,帰ることにした。
午前8時からほぼ半日遊んだことになる。ホテルが近くて助かった。
部屋に戻ると,当然ながらすぐに寝た。

<12月25日(月) ディズニーランド・リゾート>

きょうはディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーを攻める。

開演時刻が午前10時なので,9時過ぎまでぐっすり寝た。
といっても,時差ボケもあって,途中何度も目が覚めたので,悲しいかな熟睡感はない。
天気は晴れ。カリフォルニアの空はどこまでも青い。

きのう行ったディズニーランド・パークの入り口と正対する
ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーのゲートをくぐる。
ディズニーランド・パークとは違った雰囲気。やや落ちついた感がある。

最初にめざしたのは,The Twilight Zone Tower of Terror.
フリーフォールなのだが,そこはさすがディズニーランド。
真っ暗なエレベーターが恐怖感を増長させ,ドアが開いたかと思った瞬間落下するアトラクション。
もう叫ばずにはいられない!
しかも,落下は一度ではなく,何度も何度も...
東京ディズニー・シーにもあるそうなので,ぜひ体験して下さい。超オススメです!

ふらふらになりながらも,Muppet Vision 3Dを見て,これも人気のGrizzly River Run へ。
丸いボートに乗っての急流滑りで,場所によっては半端でなく水をかぶる。
ただここはカリフォルニア。あっという間に乾くのでご安心あれ。

そのあとは,It’s Tough to be a Bug ! へ。
これも3Dだったが,いろいろ仕掛けが面白く,あとでもう1回入った。

Soarin’ Over California というアトラクションにも入った。
これは疑似飛行体験をしながらカリフォルニアの名所を観光するというものだったが,30分以上並んでまで入ることはないと思った。
並ぶ,といえばこの日はクリスマスなのだが,園内は想像以上に空いている。月曜日だからか?
アトラクションで並んだのはGrizzly River Run と,California Screamin’ というジェットコースターだけで,
ほかはほとんど並ばずに入れた。

さて,そのジェットコースターだが,これはスタートが面白い。
ふつう,ジェットコースターはカラカラと高いところまで誘導され,そこから一気に落下,というものだが,
このScreamin’ は平坦なレール上で一気に加速し,上り勾配を駆け上がっていくのだ。
リニアモーターカーの原理を利用しているらしく,嫁のような加速好きにはこたえられない。

ジェットコースターの前には,Malboomer というこれも一瞬に加速して上空高く打ち上げられる発射式のライドに乗った。
初体験の乗り物に狂喜乱舞。
上空に打ち上がったときは,広大なカリフォルニアの大地が見渡せ,実に爽快。

このライド,発射まで次に乗車する客にじっと見られることになる。
これがけっこうプレッシャーで,「怖いんじゃないのか?」「ビビってるんだろ?」みたいに見られるので,
「別に」と平静を装うのが難しい。
だた,そこは関西人,ややオーバーアクション気味に発車前は「怖い,怖い」,
終了後は「あ~怖かった」とジェスチャーで示してあげた。

おもなアトラクションは一通りみたので,あとはお楽しみのパレード。
ディズニーランドのパレード好きの私たちは,いらち(せっかち)のくせに,パレードを待つ間はさほど苦にならない。
こういう価値観の一致は,ずっと夫婦をやっていく上で案外重要なものかもしれない。

夕方17時15分からはBlock Party Bash というパレード。
ディズニーの比較的新しいキャラクターたち(実はよく知らない)が踊りまくる陽気なパレードで,
前にいた中国系らしき若者グループがとてもノリノリだったので盛り上がった。

そして20時45分からはお待ちかねのエレクトリカル・パレード。
東京ディズニーランドでは1時間前からの席確保は必須なので,
20時前から好位置のベンチをキープしたが,とくに混雑する様子はなさそう。
途中,同じベンチにメキシコから来たという母娘が座り,しばし談笑(もちろん嫁が)。

ほほえましい世界交流である。

わたしたちの前に誰も来ないまま,パレードスタート。
東京ディズニーランドで聴くおなじみの曲が流れてきた。きのうに続き,感動で目が潤む。

パレードの内容は東京ディズニーランドでみるものとほぼ同じだった。
パレードの最後列が通り過ぎると,観客が大勢パレードについていき出した。
私たちも合流して,いっしょにパレード。
途中,何度か係員に「あっちいけ」といわれたがうまくくぐりぬけ,けっこう長い間パレードといっしょに行進した。
やはり,ディズニーランドといえば,エレクトリカル・パレード!

パレードが終わると,出口に向かう。
ちょうど向かいのディズニーランド・パークで花火ショーが始まったので立ち止まって見た。
ほとんどの人が立ち止まってみていた。花火好きはどの国にもいるようだ。

きのうディズニーランド・パークで観たパレード「A Christmas Fantasy」の曲が気に入ったので
CDを買おうとショップを回ったが見つけることができなかった。
嫁は,エレクトリカル・パレードのCDをしっかりと手にしていた。

ホテルに帰ると,ツアコンの嫁はフロントであすの目的地・ハリウッドへの移動手段をたずねた。
アナハイムにあるディズニーランド・リゾートからハリウッドまでは約70kmほど離れていて,
直行する交通機関がないのだ。

ガイドブックでは,ロサンゼルスのダウンタウンへ路線バスで行って,
ダウンタウンからは地下鉄などで移動するように紹介してあるのだが,
ダウンタウンへの路線バスが2時間もかかるらしい。
なので,別のルートはないかたずねたのだ。

ホテルのフロントの男性がいうのは,
アナハイムの駅までタクシーで行って,そこからロサンゼルスまで電車で行けとのこと。
ただ,駅がどこにあるかもわからないし,電車の乗り方も知らない。
嫁は,とても不安な夜を過ごすことになった。

<12月26日(火) ハリウッド(ロサンゼルス)>

アナハイム最終日は8時に起床。昼頃にはハリウッドに着きたいところ。

フロントで嫁がチェックアウトの手続きをしながら,「タクシーを呼んでほしい」と頼むと,
「どこいくの?」とフロントのお姉さん。
「ハリウッド」と答えると「じゃあダウンタウンまでバスで行くのがいいわよ」という。
きのう,フロントの男性は電車で行けといったのに...と思いながら「そのバス停はどこ?」と聞くと
「その角を曲がったところよ」と教えてくれた。

「時間はかかるけど,バスで行くのが正解かな」といいながら
3泊お世話になった ANAHEIM PLAZA HOTEL & SUITES を後にする。

Downtown L.A (ロサンゼルスのダウンタウンのこと。私はダウンタウンというのは「下町」という意味だと思っていたが,
どうやら中心街という意味らしい)行きのバス停はすぐに見つかり,バスもすぐにやってきた。

あとで知ったことだが,このアナハイムからDowntown L.A行きの460番は,1時間に1本程度しかない路線だったので,
実に運良く乗れたわけだ。
バス代は2人で4ドル15セント(約500円)。約50km,2時間のバス旅行を思えば安い。
ただ,地元の人が利用する路線バスなので,大きなスーツケースを持って乗り込むのは少々勇気がいる。

乗客を見ると,南米系,韓国系が多く,こまめに街中のバス停に止まっては,客が乗降する。
車内が混んでくると,スーツケースを抱えた旅行客はより目立つ。
早く着いてほしいなぁと思いながら乗っていると,バスは途中からフリーウエイ(無料の高速道路)に入り,速度を上げた。
アナハイム近郊を一回りしたら,あとは一気に Downtown L.A を目指すようだ。

ビル群が迫ってきたと思ったらバスはフリーウエイを降り,市街地を走る。
するとおもむろに嫁がバスの女性運転手に,降りるべきバス停をたずねた。
Downtown L.Aからハリウッドへは地下鉄で向かうことにしていたのだが,
バスの終点が地下鉄の駅と隣接しているかどうかわからないので,
最寄りの地下鉄の駅で降ろしてほしいと頼んだのだ。
すると,運転手はしばらく走ると,「ここで降りなさい」と教えてくれ,私たちはバスを後にした。
2時間,路線バスに乗ったのも初めての経験だった。

降りたところはビル街の一角で,交差点に地下鉄の入り口があった。
降りてみると,そこは7th ST / Metro Center (7番通り/メトロセンター)駅。
そこから地下鉄で8駅目が私たちが目指すHollywood/Highland(ハリウッド/ハイランド)駅だ。
ロスの地下鉄メトロレイルは一律1ドル25セント(約150円)だから安い。

Hollywood/Highland駅で降り,きょう泊まる Renaissance Hollywood Hotel(ルネッサンス・ハリウッド・ホテル)を目指す。
駅の出口を出ると,にぎやかな一角になっていて,すぐ隣に有名なチャイニーズシアターがある。

ホテルは歩いて2,3分のところにあった。
今朝まで泊まっていたアナハイムのホテルと違って立派なホテルである。
チェックインをすませて部屋へ。

ハリウッドといえば,やはり山肌に「Hollywood」と出ているハリウッドサインをまず見たい。
あらかじめ,ホテルを予約するときに嫁が「ハリウッドサインが見える部屋を」とリクエストしてくれていたので,さっそく窓の外を眺める。
ハリウッドサインは,見えた。見えたけど,思ったより実物は小さかった。ちょっとがっかり。

地下鉄の路線図を見ると,Hollywood/Highland駅の次がUniversal City(ユニバーサルシティ)駅となっている。
ユニバーサルスタジオが1駅先にあるのだ。
ただ,ハリウッドでは今日1泊するだけで,明日の朝にはラスベガスに移動することになっているので,
ユニバーサルスタジオで1日遊ぶ時間はなかった。
せめて入るだけ入ろうかと思い,ガイドを見てみると1日券が$59(約7000円)だったので断念。
2人とも,2日ディズニーリゾートで遊んだ疲れもあるので,手近にハリウッド観光に切り替える。

まだこの日は食事をとっていなかったので,ひとまず昼食をとることにする。
嫁は日本料理が食べたいという。

私は,外国に出かけたときはその地の料理を食べる主義なので,ポリシーに反するのだが,
慣れないツアコンで疲れている嫁の願いとあっては放っておけない。

ガイドブックをみると,近くにシンタロウという日本料理屋があることがわかったので,
営業しているかどうか確認しようと思い,日本料理だから日本語でも大丈夫だろうと私が電話してみた。

「hallo」と出たので「Japanese OK?」と聞くと「大丈夫ですよ」と言ってくれた。
ホッとして「いまから行きたいのですがやってますか?」とたずねた。
営業中だというので,場所を確認すると,どこのホテルに泊まっているかと聞かれた。
「ルネッサンス・ハリウッド・ホテルです」というと「知らない」という。
チャイニーズシアターの近くというと「じゃあ近いです」とのこと。
ガイドブックを見る限り,「あのへんちゃうんかなぁ」とホテルの部屋から見える一角ではないかと思うのだが,
このホテルはそんなに知られてないのか...

すぐに身支度をして出かける。目指すシンタロウは予想通りの場所にあった。
ホテルを出て5分ほど。店からホテルも見える。
店にはいると先客はいない。
嫁は鍋焼きうどん,私は寿司のランチを注文した。
異国の地で食べるうどんやすしは正直おいしいとは思わない。
やはり非日常の環境で日常のものを食べても,感じ方が違うのだろう。

ほどなく,隣のテーブルに若い2人組の男性客が来た。
チラっと見ると,日本人のようにも見えるが,ぼそぼそしゃべるので言葉が聞き取れない。
おそらく日本人の店員が注文を聞きに来ると,英語で会話しているので,ますますわからない。
ただ,注意深く聞いてみるとどうも日本語で会話しているらしいので,思い切って声をかけてみたら2人とも日本人だった。
1人はロス在住10年,仕事で来ているという。
もう1人は,旅行客。ロス在住10年の後輩らしく,先輩を頼って旅行に来ていた模様。

せっかくだからと,ハリウッドからロサンゼルス国際空港までの交通手段や,
どれくらい時間がかかるかなど情報を収集させてもらった。
その間,外国人客も来店して,箸を器用に使いながら寿司を食べていたのをみて驚いた。

会計はテーブル会計。日本のようなレジはない。
まず店員がテーブルに伝票を持ってきて,内容を確認し,
現金で払うのなら10~15%程度のチップを加算した金額をテーブルにおいてそのまま店を出ればよい。
クレジットカードで払うなら伝票にチップの金額と合計額を自分で記入し,
カードを伝票といっしょにテーブルの上に置いておく。
すると店員が伝票とカードを取りに来て,精算を済ませ,カードをテーブルに返しにくる。あとは店を出るだけ。
シンタロウでは日本語が通じるという安心感もあり,クレジットカードでテーブル会計に挑戦,無事会計が終了した。自信になった。

食事を終えるとハリウッド観光。といっても,ハリウッド大通りと呼ばれるメインストリートを歩くだけ。
通り沿いにあるチャイニーズシアターや,アカデミー賞の授賞式が行われるコダックシアター,
蝋人形館などの観光スポットをのぞきながら,
ハリウッド大通り約2.5kmを往復した。

通りには,映画産業に貢献した人々の名前が刻まれた星形のブロンズが埋め込まれていて,それを眺めながら歩くのだが,
ハリウッド映画をあまり知らないものにとっては,知っている人が少なかったのでピンと来なかった。

チャイニーズシアター正面の広場には映画界のスターの手形や足形が敷き詰められていて,
多くの観光客がお目当てのスターの手形や足形をさがして写真を撮っていた。

観光客が集まっているところには,ランボーやダースベイダーなどの格好をした人がいて,記念写真を撮ってくれる。
ただ,日本語でチップを要求されたのにはがっかりしたが...

ハリウッドは,ツアーの途中1,2時間立ち寄るような場所で,滞在してまで観光する場所ではないんだなと思った。

それでもハリウッド散策を堪能していったん部屋に戻り,休憩してから夕食へ。
ガイドブックで見つけていた「ムッソー&フランクグリル」を目指す。

ガイドによれば,「1919年創業のハリウッド最古のレストランで,多くの有名人が通ったことで有名(こういうフレーズに弱い)。
名物プライムリブやサーモンステーキをはじめ,メニューは150種類以上」とのことで,ぜひ行きたいと思っていた店だ。

店はハリウッド大通り沿いにあってすぐに見つかった。
扉を開けるとさっそく店内に案内してくれた。
薄暗い店内は広く,客はほとんどが白人。
ロスについて以来,ディズニーリゾートも含め,南米系,アジア系の人たちを多く見ていたので,
これほど多くの白人の中に入ったのは初めてでちょっと緊張。

担当のウエイターが来て,シーザーサラダとプライムリブを注文。注文はもちろん嫁担当である。
量が多いことがわかっているので,1人前ずつ注文すると,ウエイターが「シェアするか?」と聞いてきた。
1人前を2人用に分けて出そうかと言ってくれているのである。せっかくなので,シェアしてもらうことにした。
シェアといえばいいのかと感心する。

出された料理はどれもおいしく大満足。
量はシェアしてくれてもまだ多いくらいだった。
アメリカに来て初めて現地で食事をした実感があった。
それまではピザやサンドイッチなど,ファストフードばかり食べていたので...
食後は夜のハリウッド大通りを散策し,土産物に入っておみやげを買い,ホテルに戻った。
さあ,あすはいよいよラスベガスだ。

<12月27日(水) ロサンゼルス→ラスベガス>

11時5分ロサンゼルス発ラスベガス行きの飛行機に乗るために朝8時に出発。

強行軍の疲れと時差ボケが重なって,熟睡できるかと思いきや,寝たり起きたりの毎夜。
嫁はツアコンの気苦労も重なって,体調は万全とはいえないものの,
飛行機に乗り遅れるわけにはいかないとばかり早朝出発でも元気よく出発。
ホテルからタクシーに乗り込み,約30km離れたロサンゼルス国際空港へ向かう。

嫁は運転手と,時間に余裕があるならビバリーヒルズを通ってほしいと交渉。
運転手は快諾してくれ,有名人が多く住んでいる超高級住宅地ビバリーヒルズを経由し,
ウエストウッドのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の前を通って,
さらに「来て来てサンタモニカ♪」のサンタモニカの海岸にも立ち寄ってくれ,空港まで送ってくれた。

運転手のおかげで,ロサンゼルスのおもな観光スポットをめぐることができた。
運転手には90ドル(約10800円)支払い,国内線乗り場で降りた。
U.S.Airways 106便にてラスベガスに向かう。

チェックインを済ませ,手荷物検査へ。アメリカでは,上着も靴もぬいで検査機を通る。
バッグの中にノートパソコンを入れたままにしていたのが引っかかって連行され,ノートパソコンを調べられた。
日本でもそうだが,ノートパソコンは手荷物から出して検査を受けなければならないのだ。

無事,検査を通過し,乗り場へ向かうと,乗り場が変更になるという場内放送が流れた(らしい by嫁)
移動すると,今度は出発時間変更の知らせが。11時5分が12時25分になるという。
かといって抗議する人がいるわけでもなく,こういう時間変更は日常茶飯事なのだと思った。

ベンチに座って待っていると,場内放送で名前を呼ばれた気がした。
注意深く聞いていると,やはり名前を呼ばれている。これにはびびった。
何事かと嫁が用件を聞きに行ってくれたが,座席番号が入ったチケットを配っていただけだった。
チェックインの時には座席番号が決まっていなかったらしい。
全く,一瞬たりとも気が休まらない。

時間がぽっかり空いたので,お昼を食べようということになった。
マクドナルドがあったので,私が買いに行くことにした。
マクドくらいなら私でも買い物できるだろうと思ったからだ。

レジで並んでいる間,メニューを確認。
チーズバーガー2個とポテトがセットになった「NO.2」を注文することに決め,
満を持して「number two & two Coke please」と言うと,見事通じた!
うれしかった。(私の英会話レベルはこんなもんなんです...)

2人でチーズバーガーとポテトを食べながら時間をつぶし,ようやく搭乗。
通路を挟んで左右3席ずつの飛行機だった。
嫁とは席が離ればなれになり,私は3人席の真ん中。
窓側には中国系の青年,通路側には肥えた白人男性。正直,圧迫感があった。
飛行時間は1時間ほどなので,我慢できないことはなかったが。

途中ドリンクサービスがあり,「orange juice」というと,ちゃんと通じた。
「orange juice」は,最初の「オー」にアクセントを置いて大げさに
「オーリンジジュース!」と強く発音すればまず間違いなく通じる。

窓の外を見ると,これまでみたことのないような壮大な景色が広がっていてびっくり。
どこまでも山地が連なり,日本と違って木がほとんど生えていないのだ。だからより壮観感を増す。
「うーん,これがロッキー山脈か」と一人納得していたのだが,
あとで調べたらロッキー山脈はもっと東側にあることがわかった。情けない。

景色が山地から広大な砂地に変わってきたころ,眼下にいかにも人工的な巨大な建物群の集まりが見えてきた。
ほどなく飛行機は高度を下げ,ラスベガスのマッカラン国際空港に着陸した。

飛行機を降りて驚いたのは,空港のロビーにいきなりスロットマシンが並んでいたこと。
話には聞いていたが,実際に目にするとさすがラスベガス!と納得してしまう。

預けていたスーツケースがなかなか出てこない。
そのうち,荷物を乗せてぐるぐる回るベルトも止まってしまった。
多くの乗客も戸惑っている。
どうしたことかと思っていると,別のテーブルから出ているとのこと。
あわてて駆けつけると,多くのスーツケースが放置されていた。前途多難。
タクシーに乗ってホテルへ直行する。

ラスベガスで止まるホテルはベラッジオ。
噴水ショーで知られる超高級ホテルで,ここは嫁も気合いを入れて張り込んだ。ここでの3泊は楽しみだ。

ロビーに入ると驚いた。人,人,人...たいへんな人だ。
フロントには10人以上スタッフがいるのだが,チェックインに時間がかかった。

ロビーを抜けると巨大なカジノ!すでに大勢の客が楽しんでいる様子で,ムズムズする。
カジノを抜けたところにエレベーターがあり,部屋に向かう。
嫁の希望で噴水ショーが眼下に見下ろせるホテル正面側の部屋を確保。27階の2714号室が私たちの部屋だ。
窓からは噴水が上がるホテル前の大きな池ばかりか,ラスベガスの街が大半見渡せ,絶景。
街の外の砂漠地帯や遠く山脈も見渡せる。
実にリッチな気分。

さて,この日は,明日の夜観る「O(オー)」というショーのチケットを受け取り,
夜はヘリコプターに乗ってラスベガスの街を空から眺めるナイトクルージングに出かける予定。
さっそく1階に降り,日本ですでに予約していた「O」のチケットを受け取った。
そこからヘリコプターまでは時間があるので,さっそく,いよいよ,待ってましたとカジノへ向かう。

さて,自他共に認める小バクチ打ちの私にとって,カジノは実に魅力ある空間だ。
ちなみにこれまでのカジノ歴を紹介すると...

デビュー戦は韓国・済州島のホテル。
ブラックジャックであっさり負けたのが悔しく,ルーレットでリベンジに成功。
3千円ほどだったかがプラスで終えた。

2戦目はモナコのグランカジノ。雰囲気に圧倒され,スロットマシンをやってあっさり5千円ほどマイナス。
滞在時間わずか30分。いつかはモナコでF1モナコグランプリを観たあと,グランカジノでリベンジしたい。

3戦目はモナコ敗退の夜,フランスのニースのホテル。
ルーレットで5千円勝って,モナコのマイナスをすぐに取り返した。額が小さく,いかにも小バクチ打ちでしょ?

4戦目は韓国ソウルのウオーカーヒル。ルーレットで5千円ほどやられた。

というわけで,通算成績はマイナス数千円。
カジノのメッカ,ラスベガスで何が何でも勝ちたい。

私はスロットマシンのような機械相手の賭けではなく,
ルーレットやカードゲームなど,ディーラーとの対決が好きだ。
ラスベガスに行くと決まって,
できればディーラーと英語で対等に会話できるように勉強したいと思っていたのだが,
けっきょく何もせずに来てしまった。

ラスベガスでは,ブラックジャックで勝負したいと思っていた。
ポーカーやバカラのほうがカジノらしいのだが,ルールに疎い。
その点,ブラックジャックはだいたいのルールがわかっている。
ただ,ガイドブックに紹介されているルールを見ると,私が知っているルールとちょっと違うのだ。

たとえば,子のカードは2枚ともオープンされるとか,
親(ディーラー)は1枚目のカードはオープン,2枚目のカードは伏せておき,
子が一通り3枚目以降のカードを引き終えてから2枚目のカードをオープンし,
16以下なら自動的にヒット(もう1枚カードを引くこと),
17以上はステイ(それ以上カードを引かないこと)になることや,

最初に配られた2枚のカードがA(エース)と10~13のいずれかのカードの組み合わせならばブラックジャックとなって,
掛け金の1.5倍もらえるとか,

スプリット(最初に配られた2枚のカードの数が同じ場合,
同額の賭け金を追加してカードを2つの手に分けてゲームができる。
Aが2枚の場合は,あと1枚ずつしか引けない),

ダブルダウン(最初に配られた2枚のカードの合計が10か11の場合,賭け金を2倍にすることができる。
その場合,カードは1枚しか引けない)などだ。

ただ,成田からロサンゼルスに向かう飛行機のテレビゲームにブラックジャックがあり,
それで練習していたのでだいたいのルールはつかんでいた。あとは野となれ山となれだ。

嫁は部屋で休むというので,一人でカジノスペースへ。
ブラックジャックのテーブルを探す。

各テーブルには賭け金の最少額が示されていて,自分の予算に合わせて空いている席に座ればいい。
私は$1くらいから遊べるのかと思っていたが,最低でも$5。
しかも$5テーブルは1卓しかなく,席は空きそうもない。
しばらくうろうろし,意を決して最低掛け金$25(1800円)のテーブルについた。

テーブルに$100ドル紙幣を3枚,$300(36,000円)を出すと,チップに換えてくれる。
さあ,いよいよ勝負だ!
ディーラーとの対決が始まり,緊張の中,じわじわ減っていくチップ。
私のやり方は,流れを見て,ここという場面では2倍賭け,3倍賭けで挑むというものだが,流れが読めない。
たまにここぞと思い,$25チップを2枚賭けてみるのだが,勝てない。
結果チップは0枚に。惨めな結果だ。
ただ,先は長い。

授業料を払ったと思い直し,いったん部屋に戻った。
嫁は慣れないツアコンに疲れが出てやや元気がない。
そんなときにカジノで遊びほうけていて申し訳ないとは思うが,心はすでにここにあらず。
カジノにどっぷり浸かっていた。

ナイトクルージングの時間が来たのでホテルの地下の待ち合わせ場所でピックアップしてもらう。

客を何組か乗せたバスはしばらく走ると,ヘリコプターが数機止まっている空港に到着。
しばらく待ってヘリコプターに乗り込む。ヘリコプターに乗るのは生まれて初めてだ。
客が4人乗り込む。私は操縦士の後ろの3人席の真ん中に座った。
少しでも景色が見えるようにと,右隣の窓際に嫁を座らせた。
左隣には,若い外国人男性。彼のパートナー(女性)が操縦士の隣に座る。

ふわりと離陸すると,高度を上げていく。怖いのかと思ったが,案外気持ちいい。
ヘリは,ラスベガスの街の外側を左回り(反時計回り)に回る。
つまり,進行方向に向かって左側に座っていれば夜景が見えるが,右側に座っていると砂漠の風景しか見えないのだ。
嫁を右側に座らせたことを悔やむ。

クルージングは10分くらいで終わり,私はなんとか夜景を楽しむことができたのでよかったが,
嫁にとってはつまらないクルージングだったと思う。ますます元気をなくしてしまった。

このクルージングは1人$78(約9300円)。ラスベガスに行かれる方にはオススメだ。そしてヘリでは左側に乗ってください。

ホテルに戻り,カジノの脇にある軽食を売っている店に入って,ハンバーガーなどを注文し,遅い夕食をとった。
いったん部屋に戻り,嫁は部屋の窓から噴水ショーを見るというので,私は本日2度目のカジノへ。
今日の午後初参戦したときよりも明らかに客は多く,活気にあふれている。
ブラックジャックのテーブルもほぼ全卓オープンしており,
午後にはなかった$10,$15の最低レートの低いテーブルもたくさんオープンしていた。

さっそく$10のテーブルに座り,勝負開始。
2戦目ともなると,少し余裕がでてきて,
英語は全くわからないくせに,隣に座った客と「nice hit!」などと言葉を交わすようになっていた。

カジノでうれしいのはドリンクが飲み放題なこと。
バニーガールの格好をしたお姉ちゃんがテーブルを回っているので,飲みたいものを注文すると持ってきてくれるのだ。
そのときにチップとして$1渡すのだが,これがなんともかっこいい。

余裕が出てくるにつれて,勝負勘も冴えてくる。
$200を元手にはじめ,最初マイナスだったのだが,徐々に挽回し,
勝負どころでの$50,$100勝負がはまりはじめ,チップが増えてきた。

カジノで使うチップは,$5,$25,$100,$500の4種類。
それ以上大きなチップもあるのかもしれないが,私が座ったテーブルでは見かけることはなかった。

2時間もプレーしていると疲れてくる。日付もかわった。
ちなみにベガスのカジノは24時間営業が基本。これからますます熱気を帯びてくるのだろうが,
ふと運気の後退を感じ,これが最後と手持ちのチップ$200を総賭け。
ディーラーがバースト(22以上になること。ドボン)してくれて$400になったところで切り上げた。
カジノ初日の結果は,トータル$100のマイナス。

部屋の戻ると,嫁は寝ていた。
バスタブに湯をはって激戦の疲れをいやす。
そんな大げさな,と思われるかもしれないが,慣れない環境での真剣勝負は,精神的な疲労が大きい。

シャワーを浴びて,ベッドに潜り込んでも興奮は冷めない。
うつらうつらしながら朝を迎えることとなった。

<12月28日(木) ラスベガス>

ラスベガス2日目は,夜にショー「O」を見るだけで,ほかに予定はない。

朝からカジノ三昧でもいいのだが,さすがに嫁を放っておく訳にはいかず,
ホテルで遅い朝食をとってラスベガスの街を探検することにした。

1階に降りると,相変わらず大勢の人,人。
朝食をとる予定のカフェ・ベラッジオも長い行列ができていた。

それでも我慢強く30分ほど並んで,ようやくテーブルへ案内。
サラダ,フルーツ,オムレツ,コーヒーを頼んで,チップ込みで$66(約8000円)。
何というリッチな朝食だ!

さすがラスベガスと思ったのは,レストランでも賭けが楽しめること。
キノという数字合わせがそれで,常時行われている。
ロト6のようなものなので,テーブルにある投票用紙に好きな数字をマークしておくと,
お姉さんが投票用紙を取りに来てくれ,しばらくすると電光掲示板に数字が表示されるしくみだ。
投票した数字がいくつ一致したかで払い戻し額が決まる。
嫁は勝負強さを見せなんとか元返し。私はマイナスだった。

食事を終えるとホテルを出て,ラスベガスの街を走るモノレールの最寄り駅に向かう。
モノレールに乗ってラスベガスのホテル街の北端まで行って,そこから歩いて帰ろうという計画だ。

実は私はラスベガスでカジノとともに楽しみにしていたものがあった。
それは,ホテル街の北端にあるストラトスフィアタワーというタワーのてっぺんにある
ビッグショットというアトラクションに乗ることだった。
出発地点が280m,最高到達地点が329mという絶叫マシーン。

楽しみにしていたのだが,この日は強風でクローズだった。残念!嫁はホッとしていたが...

そこからは,いろんなホテルに立ち寄ってラスベガスの街を散策。
途中,シーザースパレスというホテルでは出口がわからなくなり,迷子になる場面も。
それほどまでに各ホテルの規模は規格外で,これでもかこれでもかとゲストを楽しませてくれる。

ベラッジオには夕方戻り,夕食をとるためベラッジオで人気のバフェに並ぶ。
バフェとは,各ホテルにあるバイキングレストランのこと。
宿泊客でなくても利用することができ,ベラッジオのバフェは人気で,
いつもたいへんな行列ができていた。

この日は,ディナーの時間には少し早い17時前だったので,行列はまだ短かった。
それでも30~40分近く待って,席に案内された。
カニを中心にたいへんな数の料理が用意されていて,人気なわけはわかった。
びっくりしたのは「Kobe beef」があったこと。
神戸ビーフが世界的ブランドであることに驚いた。
2人で$86.09(約10300円)は割高な気はしたが...

食事を終えて部屋へ。
このときまだ20時前。
今日お目当てのショー「O」は22時30分開演だから,まだ時間はある。
しかしここでこの旅行最大のアクシデントが...

きのう私が受け取ったはずの「O」のチケットがないのだ!

どこかで落としたらしい。
気まずい時間が流れる。
私はすべての荷物をひっくり返してさがしてみたが見つからない。
嫁がもっとも楽しみにしていたショーなのに...

どうしても見つからないので,あきらめて嫁に交渉してもらうことに...
日本で予約したときの予約番号を持って,1階の劇場の入り口へ。
英語を話すことに疲れていた嫁ががんばって交渉する。

すると,事情をわかってくれたのか,ショーが始まる前にもう一度ここにおいでという。
どうやら入れそうだ!嫁に笑顔が戻り,私もホッとした。
もちろん,確実に入れると決まったわけではないが,何とかなりそうだという希望の光は見えた。

ショーまではまだ時間があるので,いったん部屋に戻った。
下手したら離婚の危機かも...とまで思っていただけにほんとうにホッとした。
ホッとしたら現金なもので,無性にカジノに行きたくなった。
そこで,嫁に許可を得て,ショーが始まるまでカジノへ行くことにした。
通算3度目の勝負である。

このときの勝負ではすっかりカジノの雰囲気に慣れ,勝負勘も冴えをみせ,$200ほど勝てた。
浮いたドルで,記念のベラッジオのTシャツなどを購入した。

ショーの時間が近づいてきたので,部屋に戻ってフォーマルな格好に着替える。
1階の専用シアターの受付に再び向かうと,さっき話を聞いてくれたスタッフが窓口にいて,
なんと手書きのチケットを渡してくれた。
晴れて場内へ。ドリンクを手に劇場へはいる。ほどなくショーが始まった。

ステージに巨大なプールがあり,シンクロナイズドスイミングや空中ブランコなど,
さまざまなパフォーマンスを魅せてくれる。
セリフはないので,純粋にショーを楽しむことができる。
あれだけ楽しみにしていて,チケットがなくなったとき大きく落胆していた嫁は,
途中ちょっとうつらうつらしていたようだったが...
1時間30分のショーは,時間を感じさせない内容だった。

この「O」は,シルク・ドゥ・ソレイユとよばれるモントリオールから来たサーカス団のパフォーマンスの1つで,
ほかのホテルでもいろんな種類のショーをやっている。
日本で上演した「アレグリア2」や「マンマ・ミーア」もこのシルク・ドゥ・ソレイユのショー。
もし,日本に「O」の公演がやってくれば,もう一度見てみたいと思う。

ショーが終わったのはもう日付もかわった0時過ぎ。
翌朝は,5:50に集合してのグランドキャニオンツアーが控えている。
さっさと帰って寝なければいけないのだが,嫁に「カジノはええの?」といわれるともういけない。
では,言葉に甘えまして...とばかり,また嫁を残してカジノへ向かう小バクチ打ちであった。

4度目の勝負!
2時過ぎまで勝負して,少し浮いたところで切り上げて部屋に戻った。
急いでシャワーを浴びてベッドに潜り込んだが,やはり興奮醒めやらずで,
ほとんど寝ないまま朝を迎えることになった。

<12月29日(金) ラスベガス>

グランドキャニオンツアーの朝は早い。

5:50にホテル地下でピックアップしてもらい,グランドキャニオンツアーのバスの乗る。
バスに乗るため1階のカジノを横切ったが,客がけっこういたのには驚いた。
私以上にバクチ好きな面々がたくさんいることを実感してちょっと安心。
でも夜通し遊べるなんて,ちょっとうらやましい...

さて,バスは何カ所かのホテルを回って客をピックアップして,
グランドキャニオン行きの飛行機が発着する空港を目指す。
ラスベガスの街から3~40分ほどフリーウエイを走って小さな空港に到着。
シーニック・エアラインズ・ジャパンという旅行会社がグランドキャニオンツアーを行っていて,
日本人観光客が多いことに安心する。

受付を済ませ,出発を待っているとなんだかただならぬ雰囲気に。
説明を聞くと,グランドキャニオンの空港が雪で飛行機が飛ばないとのこと。
2時間くらい待てばいけるかもしれないがどうする?というのだ。
どうするといわれても,せっかくここまで来たのだからと待つことにした。

しばらくすると,あわただしく出発するという。天候が回復したらしい。
乗り込んだ飛行機は小型機で,定員は15名くらいだっただろうか。

グランドキャニオンまでの飛行時間は50分。
全員乗り込むとすぐに takeoff!
ラスベガスを飛び立って,しばらくすると茶色い山肌をさらけだした山地が見えてくる。

フーバーダムを眼下にしてさらに東へ向かうと,大渓谷が見えてきた。
グランドキャニオンにさしかかってきた様子だ。
デジカメで窓越しに写真を撮っていたのだが,
小型機特有の小刻みな揺れに睡眠不足が重なって(これは自業自得だが),気分が悪くなってきた。
これ以上の飛行はやばい,前の座席の背ポケットにある汚物入れの存在を確認しはしめた頃,
グランドキャニオンの空港に着陸した。

さて,グランドキャニオンとは,コロラド河が何百万年という時間をかけて高原を浸食したことからできた巨大な渓谷で,
長さは東西350kmにもおよび,谷の幅は6~30km,谷底から岩山の頂上まで2kmの高低差がある。
なので,いろんな観光ポイントがあり,1日ですべてを見ることは不可能だ。

私たちは,空港からバスに乗り,最初の観光ポイントであるマーサーポイントへ。
ガイドは日本人のおっちゃん。いきなり
「ラスベガスはネバダ州ですが,グランドキャニオンはアリゾナ州です。アリゾナにありぞな」
とかましてくれ,私ははまってしまった。
あとで聞くと丹波の出身だという。変に納得した。

さて,マーサーポイントから見える光景は想像を絶するものだ。
これは実際に見てみないとわからないと思う。
嫁が私に「グランドキャニオンを見せてあげたい」と言った気持ちが分かった。

バスに戻ると,ガイドが残念なお知らせがあるという。
このあと向かう予定だったモニュメントバレーには悪天候の影響でいけなくなったという。
飛行機でさらに1時間くらい乗っていく予定だったので,
今度は飛行機酔いに耐えられないだろうと覚悟していた私にとっては正直,朗報だ。

予定変更で,もう1カ所グランドキャニオンの観光ポイントへ立ち寄り,
昼食(バイキング)を食べて,空港へ。
少し早いが,ラスベガスへ戻るという。
機内では,ガイドの日本人のおっちゃんと隣の席になったので,いろいろ話をした。
「カジノ勝ってますか?」と聞かれたので「トントンですね」と答えると,
突然に前に座っていた50代とおぼしきいかにもバクチ好きそうな日本人のおっちゃんが食いついてきた。

「俺はブラックジャックで24万勝ってる」
「すごいですね。じゃあミニマム$100のテーブルですか?」と私。
「いや$500。300万勝って帰らないとあかんねん」とおっちゃん。
隣にはご婦人らしき女性がいたが,そしらぬ顔。
どんなおっちゃんや!あーこわ!
帰りの飛行機では途中寝ていたので,なんとか機内を汚さずにラスベガスまで帰れた。

そのままバスでホテルまで送ってもらう。
モニュメントバレーにいけなかったぶんの旅費は返してもらえた。

ホテルに着いたのは15時。
こんなに早く帰ってきたら,それはもうカジノしかないでしょう!

嫁に「いっしょに遊ぶ?」と聞いたら,噴水ショーを外から見たいというので,
あとでカジノで合流することにして,私はさっそくブラックジャックのテーブルに座った。
これで5度目の参戦だ。

このころになると,カジノはもう我が庭のような感じになっており,
ディーラーにチップをはずむ,なんて芸当もこなしていた。
わかる範囲の英会話を駆使し,同じテーブルに座ったいろんな国の人たちと交流を深めた。
英語はまったくできない私が,それなりにコミュニケーションをとれるのだから不思議なものだ。

ディーラーにも何人かなじみができ,
相性の悪いディーラーがテーブルにやってくると,テーブルを替わったりもしていた。

それにしてもアメリカ人のリアクションは見ていてとてもおもしろい。

1枚目にAなどのいいカードが来ると「Hear we go! Hear we go!」と興奮し,
さあに2枚目に10や絵札が来てブラックジャックが完成しようものなら「Yes!」と大げさに喜ぶ。

たとえば,私が最初の2枚のカードの合計が15で,勝負してもう1枚要求し,
「6」のカードが来て21になったりすると,
「nice hit!」といっしょに喜んでくれたりしてこちらも盛り上がる。

もっともおもしろかったのが,私の隣に座った同年齢くらいの男性が,
$200勝負をしていて2枚のカードの合計が16だったとき。
ディーラーの1枚目は絵札。ディーラーの2枚目は伏せられている。
こういう場合,ディーラーが圧倒的に有利な状況だ。

その男性,意を決してもう1枚要求!
配られた3枚目のカードは「2」だった。
バーストの危機を乗り越え,合計18でステイ(ストップ)。
他のゲストにカードを配り終え,ディーラーが表を向けた2枚目のカードは「7」。
ディーラー「17」に対して,男性「18」。
この瞬間,隣人は叫んだ。

「Dreams come true!」

もし,3枚目を引かなければ「16」対「17」で負けていたところを,
「2」のカードを得て合計「18」にしたことで勝ち,
$200を$400にしたのだからたまらない。この気持ちは痛いほどわかる。

噴水ショーを見てきた嫁が私のいるテーブルに戻ってきたので「いっしょにする?」と誘ったが,
様子をみてからということでしばらくテーブルを眺めていた。
でも,いっしょにテーブルに着くことはなく,
スロットマシンを少しして,いったん部屋に戻るという。
私の手持ちのチップがなくなったら迎えに来てほしい,
それからいっしょにブラックジャックをやるというので,
部屋に戻る嫁を見送って,再び勝負を開始した。

それからけっこう長い時間,チップがなくなることなく私はブラックジャックを楽しんだ。
そろそろ部屋に戻ろうと,最後の大勝負に挑む。

最初$100賭けていて,2枚の合計で11になる組み合わせが来たので,
もう$100追加して,ダブルダウン$200勝負に出たのだ。
2枚の合計が11のときは,倍賭けしてもう1枚だけ引けるという勝負だ!

そのときは黒人ディーラーとの1対1の勝負になっていた。
ディーラーのカードの1枚は絵札だった。

ディーラーは,私の勝負の3枚目を裏返しに置いた。
私の合計はわからない。
粋な演出である。

そして親は自分の2枚目をめくった。
絵札だ。
ディーラーの合計は20。

となると,私は裏返された3枚目が10か絵札なら合計21で勝ちだが,
9なら合計20で引き分け(賭け金は戻る),8以下なら負けになる。

まさに祈る気持ちで,ディーラーがゆっくり裏返す私の3枚目のカードを見ると・・・

見事絵札!
「21」だ!
勝った!

この快感がたまらない。

ディーラーも祝福してくれ,そこで勝負をやめて換金し,部屋に戻った。部屋に戻ると嫁は寝ていた。
時刻は確か23時頃だったか。6時間以上,カジノにいたのだ。

例によって,長い入浴で疲れた脳をクールダウン。
翌朝はサンフランシスコに向けて出発なので,
ラスベガスで勝ちきった喜びに浸りながらの最後の夜は格別だった。

けっきょく,ココという勝負どころで勝てたことで,大ケガをせずに遊ぶことができたと思う。
これが最後!と$200全額賭けたときに運良くブラックジャックが完成し,
1.5倍の配当がついて$500になったときは,同じテーブルのアメリカ人親子に感心され,
その父親とハイタッチしたのもいい思い出だ。

同じテーブルで同じ客どうし長くいっしょにやっていると,同志のような感覚が芽生えてきて,
相手を応援したり,逆に応援されたりするようになる。
テーブルを離れるときに交わす「good lack!」が同志の合い言葉だ。

<12月30日(土) ラスベガス→サンフランシスコ>

3泊したベラッジオもいよいよチェックアウト。
ラスベガスで過ごした4日間は,ほんとうにエキサイティングだった。

8時30分にチェックアウトする予定だったが,2人とも7時30分には起床。
嫁が「カジノはもうええの?」と聞くので,「最後にいっしょにするか?」と聞いたら「うん」という。
これまで嫁をほったらかしにして遊んでいたので,せめて最後だけはおつきあいしようと思う。
嫁も,部屋に戻るたび興奮していた私を見ていて,カードゲームに興味は示していたのだろう。

荷物を部屋に置いたまま,2人でカジノへ。
並んでテーブルに座り,勝負開始。朝の8時前からですよ!
最初は自分の勝負は二の次にして,
嫁にルールやヒット(もう1枚要求すること)・ステイ(もうカードはいらない)の指の動きなどを教えながら楽しんでいたが,
2人もチップがどんどん減ってくるので,ここで負けて帰っては示しがつかんと,ちょっと真剣モードに。

運気が上向いてきたところで掛け金を増やして勝負を仕掛け,逆襲に転じた。

チェックアウト予定時刻の8時30分が近づいてきたので,
手持ちのチップ$200ほどを全部賭けて2006年ラスベガスで最後の勝負!
気合いが勝ったのか,ディーラーのバーストで幕が閉じた。

最後もきっちり勝って有終の美。意気揚々とチェックアウトしたのだった。

「また帰ってくるよ」と小さくつぶやきながらタクシーに乗ってホテルを離れるとき,
同じテーブルに座ってともに戦った戦友や,
記憶に残る勝負を展開してきたディーラー達の顔を思い浮かべると,なんだか涙がにじんできた。

ラスベガスのマッカラン国際空港へは15分程度で到着。
チェックインをスムーズに済ませ,空港内でショッピング。

朝食もとって,11時29分発のUS Airways468便に搭乗。
最後の目的地であるサンフランシスコに向かう。
サンフランシスコまでは1時間30分のフライトだ。
ここでも嫁と離ればなれになったので,ガイドブックを読んで頭をサンフランシスコモードに切り替える。

飛行機は予定通り13時過ぎにサンフランシスコ国際空港に着陸した。

預けたスーツケースが出てくるのを待っていると,1つは無事出てきたのだが,
1つはなんと大きくへこんだ状態で出てきた。
開くかどうかもわからないほどの損傷。

緊急事態に,成田で入った旅行保険会社に電話して,状況を説明する。
まず旅行会社に言って,証明書をもらってくれと言う。
そこでまた,嫁の出番。

文句を言いに手荷物受取所にあるUS Airwaysのカウンターに行くと,
忙しそうに対応に追われている女性スタッフがいたので声をかける。
状況を説明すると,
「修理に3週間かかるがよいか?」とスタッフ。
「あさってには日本に帰るからそれは困る」と嫁。
「では代わりのスーツケースをショーウインドウから選んでこい」とスタッフ。
この間,スタッフからお詫びの言葉は一切なし。
なにもないときはフレンドリーだが,トラブルが起こると決して謝らないのがアメリカ人か。

いわれるがまま,ショーウインドーの場所をさがしていると,
荷物の整理をしている東洋人らしきスタッフを見つけた。
日本語OKかと聞くと,OKだという。
日系ではなさそうだったが。事情を説明し,
「代わりのスーツケースをもらったあと,さらに壊れたスーツケースを修理して日本に送り,
スーツケースが壊れたという証明書を発行してほしい,と,あの女性スタッフに話して下さい」と頼むと,
引きうけてくれ,女性スタッフを呼んでくれた。

女性スタッフはいかにも迷惑そうにカウンターから出てきて,代わりのスーツケースを早く選べという。
いくつか並んでいた中から1つ選び,壊れたスーツケースの修理と証明書の件を話してもらったが 「No」の一言。

早口でまくし立てるので,私にはさっぱり理解できなかったが,
要するに代わりのスーツケースをやるから修理もしないし,証明書も出さないとのこと。
まったく申し訳ないというそぶりも見せない。
私には

「I’m busy.」

の一言だけははっきりと聞き取れた。

それっきり女性スタッフはカウンターに戻ってしまい,
助けてくれた男性スタッフには$10のチップを渡した。

聞くと,その男性スタッフは間違って届いた荷物(lost baggage)の処理だけを担当しているらしく,
彼の前には多くのスーツケースが並んでいたので,
「これはlost baggage?」と聞くと,「そうだ」という。
「こんなにたくさんあるの!」と改めて驚く。

「スーツケースが壊れて出てくるケースはよくあるの?」と聞くと「よくある」とのこと。
だから,代わりのスーツケースがたくさん置いてあるのだろう。
アメリカで旅行するときは要注意だ。

荷物トラブルで空港から出るのが遅れてしまった。
壊れたスーツケースと代わりにもらったスーツケースと,
無事だったスーツケースの3つのスーツケースをガラガラ引きずりながら,
ドア・トゥ・ドア・シャトルバンという空港と各ホテルを結ぶ乗り合いバンに乗り込み,
サンフランシスコでのホテル Handlery Union Square Hotel を目指す。

空港からフリーウエイを通ってダウンタウンL.Aへ。
市街地をしばらく走ると,空港から約40分ほどでホテルに到着。

Handlery Union Square Hotel は,ユニオンスクエアという広場のすぐそばにあるホテルで,
やや歴史を感じさせるつくりだった。
部屋もこぢんまりとしていて,ベラッジオと比べるとずいぶん狭いが,
宿泊代がこのホテルで2泊しても,まだベラッジオ1泊分には及ばないと嫁から聞くとそれも納得。
こちらのほうが意外に落ち着くあたり,分相応なのかもしれない。
壊れたスーツケースをこじ開け,荷物を移し替える。

サンフランシスコといえば,ケーブルカー,ゴールデンゲートブリッジ,
フィッシャーマンズワーフが有名だ。

ケーブルカーはすぐそばを走っているものの,他のスポットはいずれも少し離れたところにあるため,
一休みしてから,ひとまずきょうは近場を攻めることにした。

ホテルを出て,ケーブルカー博物館へ。
途中,サンフランシスコ名物の急な坂道を上り,さっそく疲れる。
20分ほど歩いてケーブルカー博物館に到着。
ケーブルカーが走る仕組みを学習する。

サンフランシスコのケーブルカーのケーブルは地下にあって,
それをそれぞれのケーブルカーのグリップマンと呼ばれる運転士が,
ケーブルをつかんだり放したりしながら,走ったり止まったりしているのだ。

博物館を出ると,もう夕闇が迫ってきたので,チャイナタウンに立ち寄る。
おなかもすいてきたので,チャイタウンで夕食をとろうと店を探した結果,
「寿司船」という店に入ることにした。
「寿司船」は,名前の通り回転寿司屋で,
いったいどんな寿司が回っているのか興味を持ったので入ったのだ。

寿司は,小さな船に乗って回転していた。
その船は鎖でつながれ,楕円形の水槽の上をぐるぐる回っていて,
その船を手で止めて,寿司を取り上げるシステムだった。

私はさらにメニューにあった「たぬきそば」にも興味を持ったので注文した。
出てきたのは,かまぼことなぜかたくわんが入ったそばと,別の皿一杯にもられた天かす。
味は...なんとも変わった味だった。

寿司船を出て,チャイナタウンをあとにして,ユニオンスクエアに戻り,
いろんな店をのぞきながらホテルに戻り,サンフランシスコでの1日目を終えた。

<12月31日(日) サンフランシスコ>

2006年の大晦日はサンフランシスコで過ごす(なんかカッコいい...)。

朝はけっこう遅くまで寝ていて,ケーブルカーの始発駅を目指すとすでに行列ができていた。

1日券を購入し,パウエル-ハイド線という路線のケーブルカーに乗り込む。
嫁は手すりにぶら下がって立って乗りたかったらしく,最前列の絶好のポイントをキープ。

急坂もなんのその,ケーブルカーはのろのろとだが力強く走る。
いくらカリフォルニアとはいえ12月31日,風は冷たい。風をもろに受けて嫁は寒そうだ。

最初の目的地,「世界一曲がりくねった坂道」と呼ばれる坂があるロンバード通りで下車。
この坂,何の変哲もないくねくねした坂道なのだが,けっこう有名らしく,
嫁は昔見た山口百恵のドラマでこの坂が使われていたと説明してくれた。

坂を下り,そこからは歩いて海沿いの観光スポット・フィッシャーマンズワーフへ。
ここはサンフランシスコ最大の観光スポットで,たくさんのショップやレストランが並んでいる。
遠くにはゴールデンゲートブリッジも見える。サンフランシスコに来たなぁと実感できる場所だ。

昼食をとるため,海沿いにあるカスタノーラというレストランに入る。
ロブスターのビスク(スープ),シーフードサラダ,グリルチキンパスタを注文する。
このロブスターのビスクが絶品!

ふつうのスープなのだが濃厚で,この旅行中食べた料理の中で最もお気に入りの料理となった。
デザートの注文を聞きに来たボーイに「ロブスターのビスクをもう1杯!」と注文したほどだ。
そのとき,ボーイは「じゃあ,ぼくがつくってくるよ」といったそうだ(嫁談)。
ユーモアの国だなぁと思う。

2杯目のビスクもおいしくいただき,
嫁に「2杯目のほうがおいしかった」とボーイに言ってもらうと,
ボーイは「そりゃそうだ。俺がつくったんだから。」と言ったらしい。
ますますいいぞ!

それから,キラデリスクエアに向かう。
ここはサンフランシスコ土産として知られるキラデリチョコレートを中心とするショッピングエリアで,
ここでチョコレートのおみやげを買うのがオススメ。

再びフィッシャーマンズワーフに戻り,クルーズ船に乗る。
アルカトラズ島というかつて凶悪犯が収監された(アル・カポネも収監されていたらしい)刑務所があった島のそばを通り,
ゴールデンゲートブリッジの下を一回りして戻ってくる約1時間のクルーズだ。

クルーズを終えてるとすでに日は暮れていて,
フィッシャーマンズワーフ内で最もにぎわっているピア39というスポットを巡る。

映画「フォレストガンプ」に登場する「ババ・ガンプ・シュリンプ」の店を見つけて,
フォレストガンプ好きの私は大喜び。グッズを買い込んだ。

このあとは,いよいよ新年のカウントダウンだ。
ホテルを出るとき,フィッシャーマンズワーフあたりで花火が打ち上げられると聞いていた。
このときはまだ19時頃。
カウントダウンまで多くの土産を抱えたまま外にいるのもしんどいので,
ケーブルカーに乗り,いったんホテルに戻った。
少し休んでまた夜に出かけようとしたのだ。

だが,2人とも疲労がピークに達していたので,23時30分ころまで部屋で寝ていた。
そこからフィッシャーマンズワーフまで行っても花火に間に合わないかもしれない。
窓の外では若者達が騒いでいる。
ホテルのそばのユニオンスクエアでも何かイベントがあるかもしれないから近場で新年を迎えようか,
と相談しながら外に出たが,せっかくだからとタクシーを捕まえて,フィッシャーマンズワーフへ向かってもらった。

ドライバーは韓国系の,「おじいさん」といってもいいほどのお歳の方。
「カウントダウンがしたい」と嫁が言うのだがどうも要領を得ない。
行くところ行くところ,人が全くいないのだ。
あせりながらも「花火が見たい」と告げると,ようやく通じたのか車をその方向に向かわせてくれた。

が,途中で花火の打ち上げが始まってしまった!
タクシーの車内で新年を迎えたのだ。

私のイメージは,街を埋め尽くす人々の間に入って,
「five!Four!three!two!one!Happy New Year!」と叫び,
回りに人たちとハイタッチをすることだったのだが,
静かにタクシーの車中でドライバーと「ハッピーニューイヤー」と言い交わすことになるとは思わなかった...

渋滞に突っ込んだのでタクシーを降り,道ばたで花火を眺める。
多くの若者が往来して,口々に「Happy New Year!」と叫んでいる。
おお,この雰囲気!この雰囲気!と思いながらしばらく歩き,
昼訪れたフィッシャーマンズワーフまでやってきた。

新年なので,多くの店が営業していて多くの人でにぎわっているだろう,と思ってきたのだが,
店は1軒も開いていていない。ひっそりとしているのだ。
カウントダウンイベントなんてなかったのではないだろうか...

私たちは心細くなってきて,ホテルに戻ろうとしたのだが,交通手段がない。
ケーブルカーはすでに動いておらず,バスに乗るにも路線がわからない。
タクシーを止めようとしても走っていない。
30分くらい悪戦苦闘していたがどうにもならない感じで,やむなく歩いて帰ることにした。

ホテルまでは2,3kmほどだと思うのだが,途中には急坂がある。
また暗い通りを通るので,危険度も高い。
嫁と2人で励まし合いながら,懸命に歩いて帰った。このときはほんとうに心細かった。

しかも坂を上りきり,下り坂にさしかかり,ユニオンスクエア近くの街の賑やかな明かりが見えてきたころ,
新年で浮かれ飲み過ぎた人たちの一人が道路にぶちまけたゲ○に,嫁が足を取られて転んでしまったのだ!
新年早々,何ともついてないことだ。トホホ・・・。

なんとかホテルにたどり着いたのが午前2時。
朝起きれば,いよいよ帰国である。

<2007年1月1日(月) サンフランシスコ→関西国際空港>

エキサイティングでスリリングなアメリカ西海岸旅行も,いよいよ最終日。
ホテルを7時30分にチェックアウトして,シャトルバンでサンフランシスコ国際空港へ向かう。

サンフランシスコでは,スーツケースは壊れるは,カウントダウンはできないは,
嫁が坂で転ぶはと,何も思い出はつくれなかったが,いい街だと思った。

チェックインを済ませ,荷物を預けると空港内でアメリカ最後の朝食をとる。
最後をしめるのはピザとサラダだ。

サンフランシスコ国際空港11時42分発ユナイテッド便で帰国の途につく。
帰りは関西国際空港への直行便。約12時間のフライトだ。
機内では,レオナルド・ディカプリオ主演の「ディッパーデッド」など,
日本公開前の映画を見ることができた。

関西国際空港には日付が替わった1月2日(火)16時40分に到着。雨だった。